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アボッツフォード・コベンツ Abbotsford Convent

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アボッツフォード

 社会史

2018年12月23日(日)
アボッツフォード コベンツ
Abbotsford Convent
グッド・シェパード修道女教会
Good Shepherd's mother house
アボッツフォード Abbotsford
メルボルン Melbourne
この場所の地図Google Map

6.8ヘクタールの広大な敷地にあるカトリック教の修道会で1860年年代から100年以上、1000名の収容人員で社会的に恵まれない女性や子供の保護施設、食堂、教育、作業を提供した。規模、期間の長さ、福祉の内容などで豪州の歴史で重要な意味を持っている。

撮影データ Canon EOS 5D 絞り優先AE 評価測光 1/500 絞りF7.1 ISO感度 100 露出補正 -1/3 オート JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L 2018年1月14日15:37 撮影:板屋雅博

 この地区は、初代ラトラーブ総督が公園用地リザーブ(現ヤラベンド公園)、ガバメントハウス(解体)などの用地として指定されていた。1842年から50年までエドワード・カー(Edward Curr)が邸宅セントヘリアズ(St Heliers)として使用していた。
1863年にフランス・アンガーズ(Angers)のグッド・シェパード修道女教会(Good Shepherd's mother house)から4名のアイルランド人修道女がやってきて広大なセントヘリアズとアボッツフォードハウスを購入して修道会を設立した。

1863年から1975年までローマカトリック修道会グッド・シェパード修道女教会がこの場所を所有した。1860年から100年間、修道会は、宿泊施設、学校、女子みなしごのサポート、病院病棟、道徳上問題がある少女の収容施設などが運営された。




 住居棟には一般人も含まれていて、若い人から年配の人までが住んでいた。野菜や果物の菜園や牧場、鶏園、ぶたなども飼われていた。必要な資金は、レースを編んだり、洗濯サービスなどで賄った。修道会は1000名の人員が居住できる能力があり、農業、実務学校、洗濯サービスなどで自立していた。同時代同様の施設と同じで少女たちの生活は厳しかった。大きな建物は、冬期でも暖房はなく、少女たちは洗濯作業や他の仕事を長時間、賃金無し強いられていた。子供たちは、修道会に1960年代まで収容されていたが、修道会の毎日の生活は厳しいものであった。


 メルボルンの初期産業は、ヤラ川の両側に沿ったアボッツフォード、コリンウッド、リッチモンドで発展し、第二次大戦まで豪州で最も重要な産業地区であった。しかし同地区は、低賃金による貧困、劣悪な住居などの社会的な問題を抱えて、特に1890年代、1930年代の経済不況の時代は大きな問題となった。コベント修道会は、労働者階級のカトリック教会文化の影響を持つ建築芸術的に文化的に重要な地区社会の重要なランドマークであった。



・職業学校:
・食堂棟Kitchen Annex (1902) :最大1000名分の食事を用意できた。当時、ビクトリアで最大の食堂であった。
・マグダレンランドリー(Magdalen Laundries)
・マーセレーター(Mercator 1880s-1960s) 数段階に分けて建設、当初はランドリー施設、ガラス吹き工房が2011年まであり、現在は、 Sophia Mundi Steiner Schoolの芸術施設がある。
・プロビデンス(Providence 1887) 未婚女性の為の教養教室と宿泊寮であり、現在は、コベント財団事務所、ウルンジェリ族土地補償&文化委員会
・ロジーナ(Rosina 1908) 以前は寮、食堂、イベント用部屋
・セイクレッドハート(Sacred Heart 1877) 以前は寮、食堂、現在は使用されていない。




 
・セントアンズ(St. Anne's)
・セント・ユーファラシア(St. Euphrasia 1879) 当初は学校、現在は地域クラシックラジオステーション
・セントマリーズ(St Mary's 1911) 当初は寮、現在は、Sophia Mundi Steiner School
・コベント(The Convent 1900–1903)当初は修道女の個室、会議室、集会所、食堂、図書館、現在は、事務室、芸術スタジオ、会議室、集会所、展示室、飲食品売店




 
 VHD

 Wikipedia

 Sisters of the Good Shepherd

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