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Gas Inspector's Residence 都市ガス検査官住宅

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アボッツフォード

産業史

2019年7月27日(土)
Gas Inspector's Residence
1 Gleadell Street, Richmond
アボッツフォード リッチモンド
Abbotsford Richmond
メルボルン Melbourne
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都市ガス検査官住宅は、(グリーデル通り リッチモンド)は、1883年にメルボルン・ガス会社 (Metropolitan Gas Company)が建築した。1882年にリッチモンドガスタンク(gasometer)が建設されたことによる。

撮影データ Canon EOS 5D 絞り優先AE 評価測光 1/320 絞りF8.0 ISO感度 100 露出補正 オート JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L 2018年1月14日17:22 撮影:板屋雅博

VHD

 この家屋は、7部屋がありメルボルンガス会社の検査官が居住した。最初に居住した検査官は、John Cornであった。1974年に州教育省(Education Department)の所有になったが、それまでは住居として使用された。この建物は、ブルーストーン製の基礎の上に建てられた平屋である。近くにあるタウンホール、郵便局、警察署と同じ建築様式である。建材は、多色レンガ、中央部のセットバックしたエントランスを軸として左右対称にデザインされている。上部が丸い窓が左右に配置されている。スレート製の屋根と突き出た煙突が主な特徴である。


 この建物は、現在、リッチモンド高校が使用している。都市ガス検査官住宅は、当時、メルボルンの広範囲に石炭都市ガスの供給ネットワークが存在したことを示す歴史遺産である。当時の都市ガス供給ネットワークの外縁部であったリッチモンドとホーソン地区に都市ガス供給の改善の為に1882年にガスホールダータンクが建設された。検査官住宅は、リッチモンドガス工場(Richmond Gasworks)の唯一の残存物である。ガスホールダータンクは、1959年に建設された。メルボルン都市地域全域に石炭都市ガスが供給する為に石炭ガス化工場が建設された。1969年に石炭ガスに代わって天然ガスが導入された。



 メルボルンガス会社は、メルボルンのガス会社各社の中で最大の会社であり、ガス検査官住宅は、その組織の中の構成員である。ガス検査官住宅は、産業現場に作られた住宅という意味でも重要性は高い。下水管が設置してあるのも興味深い。
617 St Kilda Road, St Kilda.のバルブハウスと比較できる。1800年代後半にメルボルンでの都市ガスが普及していたことは特筆できる。フィッツロイガス工場は、石炭ガス化工場である。世界で最初のアーク溶接したガスホールダーを所有したことで名高い。1856年にウェストメルボルンで石炭ガス化工場が建設され、メルボルンで最初の都市ガスの供給が開始された。同年メルボルンの自治体(Corporation)フィッツロイ区の住民がスミス通りのクラークホテルに集まり、フィッツロイの中で都市ガス導入の検討会を行った。

 メルボルンガス&コークス会社(Melbourne Gas and Coke Company)の独占により価格高騰への住民の関心が高まった。結果として、いくつかの地域ガス会社が設立された。1859年にコリンウッド、フィッツロイに地域ガス&コークス会社が設立された。フィッツロイガス工場は、1861年にノースフィッツロイのラリー通り(現、アレキサンダーパレード)に建設され、半径6マイル以内の地域に都市ガスを供給した。ガス化工場の最初の場所は、アレキサンダーパレードとスミス通り北側の場所であり、エンジニアウィリアム・エルスドン(William Elsdon)が設計した。ガス工場は、ゴア通りを渡り、ジョージ通りまで西側に拡張された。


 反対側にガソメーターホテル(Gasometer Hote)が立った。フィッツロイガス工場は、1878年にメルボルンとサウスメルボルンのガス会社と合併して、メトロポリタンガス会社(Metropolitan Gas Company)が誕生した。フィッツロイガス工場は、フィッツロイステーションと呼ばれた。フィッツロイガス工場は、他の都市ガス工場とは異なり、あまり利益が出ず、ガス生産量は徐々に減っていき、ガス工場は閉鎖され、会社のワークショップとして再開発され、ガス貯蔵所となった。メトロポリタンガス会社によって1919年に固定ガスホールダー建設された。主任技師ジョセフ・ニューウェル・リーソン(Joseph Newell Reeson)は、豊富なガス工場建設の経験があり、巨大な鉄製構造物の製造の際にアーク溶接を使う技術も持っていた。世界で初めてアーク溶接を使用して第3ガスホールダーを1923年に完成した。このガスホールダーは、1878年に解体された。残地物は、埋設されたが、今なお、現存すると思われる。



 フィッツロイガス工場の大部分は、解体され近代的な工場や倉庫が建設された。アレクサンダーパレードとジョージ通りの交差点にはバルブハウスが残っている。移動式プレハブ住宅は同敷地の北側の端に残っている。ガス工場の多色レンガ製倉庫も現存しているが、州遺産には登録されていない。

Collingwood History Club

Fitzroy Gasworks



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