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コーフィールド タウンホール Caulfield Town Hall

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コーフィールド

タウンホール

2020年7月4日(金)
コーフィールド タウンホール responsive晩
Caulfield Town Hall
コーフィールド Caulfield
メルボルン Melbourne
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コーフィールドタウンホールは、旧コーフィールド市(City of Caulfield)、現グレン・アイラ市(City of Glen Eira)の市役所である。コーフィールド市行政は、コーフィールド郡(Borough of Caulfield)として1884年に始まった。

撮影データ Canon EOS 5D 絞り優先AE 評価測光 1/400 絞りF9.0 ISO感度 100 露出補正 オート JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L 2020年1月25日10:18 撮影:板屋雅博

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 コーフィールドタウンホールは、旧コーフィールド市(City of Caulfield)、現グレン・アイラ市(City of Glen Eira)の市役所である。コーフィールド市行政は、コーフィールド郡(Borough of Caulfield)として1884年に始まった。コーフィールドタウンホールは、ホーソン通りとグレン・アエラとp理の交差点付近にあり、郵便局と電信局、小規模裁判所(Court of Petty Sessions)なども内部に設置された。コーフィールドタウンホールは、コーフィールド郡の土地行政長官シドニースミス(Sydney Smith)が設計した。現在のタウンホールは、1890年代にアレキサンダー・ランキン(Alexander Rankin)のデザインで完成した。大会議室(hall)、玄関(foyer)、屋根付き玄関(portico)は、1931年にゴールドスミス・ジェンキン事務所(Goldsmith and Jenkin)が設計した。



シドニースミスの設計は、東側の壁面などの立面(east elevation)、正面ファサードの1階部分のタワーの下側までである。シドニーの死去(1886年)後は、息子が建築を継続した。ゴールドスミス・ジェンキン事務所の設計建築は、両大戦期の不況期ではあるが、コーフィールド市の発展の時期であった。1927年のマルバーンタウンホールの改修工事(Hudson・Wardrop事務所)、1925年ー28年メルボルン市庁舎(Melbourne Corporation Offices and Hall:Stephenson and Meldrum, A. and K.Henderson)、1924年キャンバーウェル市庁舎(Leighton Irwin and Roy Stevenson)、各市の1930年代の事業などに比肩しうる。



 ゴールドスミス・ジェンキン事務所の建築は、大不況期にあり、コーフィールド市による失業対策事業の意味合いもあった。コーフィールドタウンホールは、建築学、美術的に重要である。建築様式は、クラシカル(Classical)に分類され、インテリアも各部分毎に注目に値する。玄関エントリーホールと階段の手すり(entry hall and staircase)、メインホール大会議場(main Hall)、玄関部分、議会会議場(Council Chamber)などである。


  アダム様式の漆喰、木製パネル、家具などアールヌーボー様式とクラシカル様式の処理を施した。オーストラリア独特のモチーフも装飾に取り入れている。シドニースミスが設計した部分や時計台などのエクステリア、正面の屋根付き玄関などもタウンホールの重要な部分であり、第二次大戦前に作られた。


 コーフィールドの名前の由来は、明確ではないが、この地に植民したジョン・コーフィールド(John Caulfield,)でアイルランドのコーフィールド男爵(Baron Caulfield)の子孫と云われている。1853年の地図に競馬場のあたりを指して使われている。

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