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コバーグ ペントリッジ刑務所 HM Pentridge Prison

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 公立小学校 No 1252

メルボルンの社会史

2020年3月8(日)
コバーグ刑務所 
Her Majesty's Prison Pentridge
コバーグ Coburg
メルボルン Melbourne
この場所の地図Google Map

コバーグ刑務所は、1850年12月に設立され、最初の囚人は、1851年に収監された。1997年5月に閉鎖された。刑務所の土地は、景観デザイナーのヒュー・リネカーが設計した。

撮影データ Canon EOS 5D 絞り優先AE 評価測光 1/1000 絞りF3.5 ISO感度 100 露出補正 太陽光 JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L 2020年1月21日15:22 撮影:板屋雅博

Coburg Hm Prison Pentridge (VHD)
Wikipedia Hugh Linaker
コバーグ刑務所  Coburg


現存する構造は、A区画、B区画、Bアネックス(食堂)、D区画(訓練場を含む)、病院(E区画)、F区画、G区画(少女用Jika矯正施設)、H区画、メイン入場門、事務所棟、部門長棟(Chief Warders)、監督官事務所兼宿舎棟、作業棟( Industries Buildings)、洗濯場、女性刑務所への南門、ブルーストーン製刑務所隔離壁と門、監視タワーである。刑務所で最初に建設されたのは、1850年〜1857年に建設された収容所複合ビル(Pentridge Stockade Complex)である。主に地元産の建築材料を使用して、比較的現場の判断(ad-hoc group of structures )により囚人労働力で建設された。刑務所の敷地区画( boundary )は、この時期に設定された。

William Champ (wiki)
Pentonville (wiki)  ミルバンク刑務所 wiki

第二段階は、1850年代後半から1860年代にかけて建設された。英国ペントンヴィル刑務所(Pentonville)をモデルとして司法長官(Inspector General)ウィリアム・チャンプ(William Champ)モデルの複合刑務所が完成した。比較的近代的な囚人の階級分けや刑務所改革(prisoner classification and penal reform.)のシステムを持っていた。建材は全て地元のブルーストーンを使用した。コバーグ刑務所は、刑務所設計の開発や刑務所運営システムに関して、政府政策の拡大に沿って徐々に拡張され、段階的に開発された。ウィリアム・ストウェル(Sir William Stawell)の1870年の王立委員会ロイヤルコミッションにより、囚人への強化労働プログラムがコバーグ刑務所に導入され、刑務労働作業所('Industries)が建設された。

HM Prison Fairlea(wiki)

木材貯蔵ヤード、木材加工工作所、大工作業所、金属加工ワークショップが1879年に、紳士服テーラー、革靴ワークショップが1886年に完成した。
女性刑務所は、A区画に1860年から1865年に完成したが、完全な女性専用施設として新しい女性刑務所(D区画)が1887年から1894年に建設されて置き換わった。フェアリー女性刑務所が1956年に建設されて、コバーグから移転された。

1870年のストウェルの王立委員会指示により1870年代からコバーグ刑務所は、少年少女の矯正施設としても使用された。既存施設のF区画ビルがジカ少年院として1875年から1879年まで使用された。プロテスタント少女院(D区画)が専用施設として建設され、1875年から1893年まで運営された。




 1900年に労働用屋外ヤードが完成した。1950年代に、同ヤードは、H区画の厳格警備ブロックに転換された。1924年にコバーグ刑務所はメルボルン監獄(Gaol)を統合し、メルボルンメトロポリタン地区のメインの拘留施設、収容刑務所となった。メルボルン監獄で処刑された36名の囚人の遺体は、コバーグ刑務所の墓所に移動された。埋葬地区と廃棄物地区は、F区画の東壁の隣接地にあり、1929年から1937年にかけて旧メルボルン監獄で処刑された全ての囚人と1928年から1937年にかけてコバーグ刑務所で処刑された9名の囚人が埋設されている。D区画の東壁隣接地にロナルド・リャンが埋葬されており、2011年まで処刑された囚人の埋葬地であった。


ビクトリア州で死刑が廃止されるまでに、コバーグ刑務所では10名の囚人が絞首刑となった。1960年にアボリジニの芸術家ロナルド・ブル( Ronald Bul)が伝統的な種族の光景を壁画に描いた。壁画は、F区画の東の端に現存している。1995年4月、矯正委員会は、コバーグ刑務所を中級警備クラスに降格し、6か所の監視タワーを廃止し、厳格監視囚人は、バーウォン刑務所( Barwon)に移動した。コバーグ刑務所は、1997年に廃止され、土地と建物は売却された。
この土地は、クルン族( Kulin Nation)の伝統的所有地であった。

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コバーグ刑務所は、先進的な設備を具有している。区画A、B、Dには、当初から換気システムが備わっており、水槽や飲用水供給システムもB区画にある。特に現存する気温換気システム(thermo-ventilation system)は重要である。

Ronald Ryan(wiki)豪州最後の処刑者

ロナルド・リャン(Ronald Ryan)は、コバーグ刑務所最後の処刑者であり、豪州最後の処刑者でもある。コバーグ刑務所から脱走しようとして刑務所職員George Hodsonを銃撃で殺害した刑で1967年2月3日8:00amにD区画で絞首刑された。後日、リャンの遺体は、D区画に墓碑を付けずに埋葬された。


ブッシュレンジャー(bushrange)ネッドケリー(Ned Kelly)は、1880年にメルボルン監獄で絞首刑に処せられた後、1929年にコバーグ刑務所に移動して埋設されている。
Ned Kelly

コバーグ刑務所はふたつの区画に分れる。北側地区は、コバーグ刑務所、刑務所プラザと呼ばれ、2013年からShayher Groupが所有して開発を進めている。南側は、刑務所村(Pentridge Village)と呼ばれFuture Estateが所有している。D区画は、Pentridge Cellars Pty Ltdが所有している。

コバーグ刑務所は3つのパノプティコン(Panopticon)全展望監視システム刑務所棟がAとB区画の隣接地に1850年代に建設されたが、受刑者が増加した為に、1900年過ぎに廃止された。
パノプティコン 英語


 ジカジカ特別警備施設(Jika Jika)
1980年に7百万ドルの費用で開所した刑務所中の特別警備刑務所でビクトリア州の最も重罪で長期刑の受刑者を収容する。1987年に5名の受刑者が死亡した為に、議論が出て8年後に閉鎖された。受刑者の部屋を扇状に展開するデザインである。

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