シティ案内

今日の一枚へ

1960-2010

クレモーントップ

ナイレックスサインと時計台 Nylex Sign & Clock

メルボルン百景トップ

2016年3月13日(日)
ナイレックスサインと時計台 
Nylex Sign & Clock
クレモ−ン Cremorne
メルボルン Melbourne
この場所の地図 Google Map

ナイレックスサインと時計台は、メルボルンシティ近郊クレモーンにあるビール醸造メーカーの原料倉庫の上に設置された著名な輝くサインである。
ヤラ川の北側側面にあり、モナッシュハイウェイ高速道路にも隣接している。時刻と温度をそれぞれ表示している。

撮影データ Canon EOS 5D MarkU 絞り優先AE 評価測光 1/2500 F4.5 ISO感度 320 太陽光 露出補正 JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L USM
2016年1月20日16:05 板屋雅博撮影

 リッチモンドビール工場の第二原料貯蔵サイロの上に1961年に建てられたナイレックスサインは鋼鉄製L型セクションアングルの骨組みで作られたX型ブレース架構構造の架台の上に、約15mの高さで空中に突き出している。ナイレックスサインは両側から同様に目視できる。サインは、「ナイレックス・プラスチック」という文言と時刻をLEDデイスプレーで表示する。表示される文言は「ナイレックスプラスチック」から「ナイレックスはいつも」に変化する。このネオンサインはモナッシュハイウェイやMCG、メルボルンのいろんな場所から見ることが出来る。ネオンサインと時計のディスプレーはサウスメルボルンのネオンエレクトリックサイン社が1961年に設計し制作、設置した。ナイレックス社は、豪州のプラスチック製品の製造メーカーである。このビール工場には原料の大麦を貯蔵するためにふたつのグループに分けて合計20のサイロがあり、1950年代から60年代にかけて建設された。

 2002年にネオンサインと時計のディスプレーとサイロを撤去して事務所ビルを建設する7000万ドルのプロジェクトが発表された。
建築計画を推進する建築会社はネオンサインと原料サイロの歴史的、美術的価値を評価して、存続すべき価値はないと判断した。しかし最後にはネオンサインの価値と存続を認めた。再開発計画は2003年に断念された。

ナイレックスの時計は、2004年5月に修復作業が発表されるまで何年もの間、稼働していなかった。同年3月ネオンサインがビクトリア州遺産登録に申請された。ネオンサインの真下のサイロの11340平方mの敷地は2004年9月に約9百万ドルで売却された。


 ネオンサインは、長くオーストラリアンネオンサインが所有していたが、2004年8月にナイレックスに売却された。時計の場所はサイロのオーナーからリースで賃貸していた。
2005年6月29日、時計は朝7時24分に深い霧とラジオ局3AWの実況中継の中で再開した。ところが衛星との同調設備に不備があり、その時間のまま進行を停止した。ネオンサインは14か月も動きを止めた。30万ドルの費用を費やして翌年2月に再開した。



 ナイレックスの空中ネオンサインは、ビクトリアの産業遺産の中でも重要な産業遺産である。
リッチモンドには、スキッピングガール、ビクトリアン・ビター、スレードニットウェア(Slade Knitwear)、ペラコ(Pelaco)などいくつかの重要な空中サインが集積しているが、ナイレックスサインは最も重要なものである。メルボルンの巨大な空中サインはかつてメルボルンの空を飾った。サウスバンクの Allen's、セントキルダジャンクションのAtlantic Ethyl、 Shell Petroleumのころがるサイコロなどがある。ナイレックスサインは、様々な光輝く媒体を使った唯一の空中サインである。

リッチモンドにサインが集結していのは、リッチモンドが産業の中心地であったことに由来する。



ナイレックスは1927年に設立された豪州最大のプラスチック製造会社である。クレモーン通りのこのサインの下で成長していった。サインは近隣のパントロード、ホドルストリートなどの大通りからサインは良く見える。またサウス・イースタン・ハイウェイの入口という立地の為、メルボルンシティへの入口と認識されている。時計台と温度計のディスプレイは住民や自動車運転者の関心を引いてきた。


 Onmydoorstep

 Wikipedia


このページのトップに戻る

inserted by FC2 system