サザーランドが中心となってリキュール類(cordials)と靴黒化のビジネスを始めた。工場の中で、食用酢も製造していた。
1885年にディクソンの会社を辞職して、ジョン・サザーランド食用酢会社をクレモーン通り(Cremorne Street)とブランチ通り(Blanche
Street)の角に設立した。
ジョン・サザーランドは、1889年に他界したが、ふたりの息子が同社を拡大し、1970年代後半まで継続した。R M Gow & Co.が同社を買収してジョン・サザーランド食用酢会社はなくなった。純度が高いモルト食用酢を作るためにビールが必要だが、1930年代に、クレモーン通りとブランチ通りの地下にリッチモンド市行政当局(Richmond
City Council )が敷設したパイプラインを通して、ビール醸造所からポンプで送られてきた。ジョン・サザーランド酢会社醸造工場は、リキュール類とピクルス類も製造していた。
ジョン・サザーラン酢会社醸造所は、2階建て部分と3階建て部分で煉瓦作りで出来ている。
ブランチ通りに面したタワー形の三階建屋は、タワーの一番高い部分まで達する赤レンガ窓間壁で分けられたふたつのベイ部分に分けられている。
小さな四角形の開口部には、煉瓦製のアーチ形迫石( voussoir)が設置されている。波型(corrugated)の鉄製寄棟屋根( hipped
roof)には、腕木付き(bracketed)ひさし(eaves)と壁または柱で支えられた水平材を飾る煉瓦製の帯( a course of dentillated
brickwork)がある。
タワーの隣の部分には、切妻(gabled)の二階建ての部分があり、ウェリントン通りに面した切妻(gable)の端部分がある。この屋上の開口部は、片持ち式(cantilevered)のホイスト用滑車を付けた(block
and tackle hoisting)桁材の上部にあり、木板製ドアがあった名残りである。