2008年2月29日(金)
ブライアント&メイ Bryant & May
クレモ−ン Cremorne
チャーチ通り Church Street
メルボルン Melbourne
この場所の地図 Google Map
午前中は、雨も降って曇りでしたが、午後からは素晴らしいメルボルンの快晴になりました。明日からは3日間、快晴が続きます。
昨年の今日2007年2月29日(うるう年のため存在しない。)
この工場で豪州中のマッチを生産していました。レッドヘッドマッチの名前は、豪州人で知らない人はいません。
チャーチ通り側には、フィトネスファーストやフェラーリが入っています。
フリンダース駅からサウスヤラ駅方面へ向かう際に、ヤラ川を渡りますが、ヤラ川の直ぐ手前の左側に大きな建物があります。ブライアント&メイ(Bryant
& May)と書いてあるのが見えます。
この建物は、1909年にEmpire Worksとして建築されましたが、すぐに英国の安全マッチの会社、ブライアント&メイ社に買収されました。
1980年代に生産を停止するまで、豪州では有名なレッドヘッドマッチ(Readheads
Matches)を生産しました。
当時は、労働事情が非常に悪い時代でしたが、同社は、現在でも稀なほど労働条件が良いモデル工場として有名でした。1920年代には、労働者のためにテニスコートやボーリング場が建てられています。
その後は、輸入品に価格で太刀打ちできずに、すべてスウェーデンからの輸入に変わっています。
Readheads公式Web
マッチが発明される以前には火をおこすことはたいへんな作業でした。
マッチは、メルボルン設立の8年前、1827年にイギリスで発明されました。塩素酸カリウムと硫化アンチモンを原料とします。
1830年にはどんな場所に擦っても発火する黄燐マッチがフランスで発明されました。しかしこれらは健康上また安全上で非常に危険なマッチでした。白燐によって多くの労働者が病気に倒れています。
現在のように、摩擦面とマッチを分け、マッチの頭に赤燐を使った安全マッチは、1844年にスウェーデンのJohn
Lundstromによって発明されました。ブライアント&メイ社は、1843年に英国で設立され、John
Lundstromの会社がスウェーデンで製造する安全マッチの輸入を開始しました。
ブライアント&メイ社は、スウェーデンのSwedish Match社と合併して世界最大のマッチ会社英国マッチ社(British
Match)社となりました。しかしその後、合併、分裂を繰り返して結局、1973年に閉鎖されました。
ブライアント&メイ社のグループ会社であったスウェーデンマッチ社は、現在でも生き残っています。
スウェーデンは、1800年代初頭、世界で最も化学の研究が進んだ国でした。そのため化学に関して多くの特許を取得しており、マッチのほか、爆弾の原料ニトログリセリンを発明しています。ダイナマイトの発明者アルフレッドノーベルは、ノーベル賞を設立しています。
Swedish Match 公式Web
ブライアント&メイ Bryant & May
(Empire Works Factory)
建築:1909年
建築期:エドワーディアン
建築スタイル:アールヌーボー
建築家:ウィリアムピット(William Pitt)
アールヌーボー様式ですが、アールデコのシカゴ学派の影響を示しています。独特の時計台や美しいレンガなどの用法は、1896年建築のビクトリアヴルーワリー(ビクトリアビターの故郷)を更に洗練したものです。
メルボルンの天才ウィリアムピットの最大の建築物です。
ビクトリアブリューウェリー
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