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ニューマーケット鉄道変電所 Newmarket railway sub station

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CHメルツ

2023年1月30日(月) responsive版
ニューマーケット鉄道変電所 
Newmarket railway sub station
ニューマーケット Newmarket
メルボルン Melbourne
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ニューマーケット鉄道変電所は、メルボルン近郊鉄道の電化の為に、ニューポート変電所などと共に建設された鉄道用変電所であり、オーストラリアや世界でも最も早い鉄道用変電所である。

撮影データ Canon EOS 5D MarkU シャッター優先AE 評価測光 1/1600 絞りF4.5 ISO感度 100 露出補正 オート JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L 2023年1月20日17:13 撮影:板屋雅博

赤レンガ作りの巨大なニューマーケット変電所は、メルボルン近郊鉄道ネットワークに電力を供給する事業計画の一環として1814年から15年に建設されて1918年に操業を開始した。
電化事業と関連するインフラはイングランドのエンジニアリングコンサルタント であるCH Merz社が設計した。ニューマーケット変電所はビクトリア鉄道のWays & Works事業部が建設した。
変電所は、当初、直流1500ボルド、周波数25Hヘルツ、高架式供給システムで電力を供給した。
その後、周波数は50ヘルツに変更されたが、建物の多くの機能は1966年にノースメルボルンとエッセンドンに新たに設立された変電所に移管された。



 ニューマーケット変電所は、メルボルン近郊鉄道ネットワークの電化の目的で建設された最初の変電所のグループであった。この変電所群は、豪州で最初の変電所グループでもあった。
また南半球で最も大きな発電所からの送電であり、蒸気機関から転換された世界で最も大きな都市近郊電化鉄道サービスでもあった。
メルボルンン近郊ネットワークは当初は100ボルト直流電源、高架式システムであった。
後の英国、フランス、オランダ、ブラジル、日本、NZ、インドなどでの鉄道変電所のモデルとなった。

 メルボルン鉄道電化事業は、エンジニアのチャールズ・へスターマン・メルツの著しい作業によるものであった。メルツは英国北東鉄道(Britain's North Eastern Railway)のニューカッスル近郊鉄道システムの1904年の電化事業にエンジニアとして従事した経験によるものであった。電化鉄道システムは、鉄道中央発電所は、近郊の一般家庭や産業用途にも電力を供給したことも重要な点である。それまでは中小の発電所がたくさんあったが、鉄道中央発電所からの電力が置き換えた。 鉄道電力は、地域の主要な電力供給源であったが、1951年に、州電力局(State Electricity Commission)に責任が変わった。
ニューマーケット変電所は、ネオクラシカル様式を採用した巨大な建物である。
3本のカナリーアイランドヤシ(Canary Island date palms)が1930年頃から建物の周りに植生している。

 チャールズヘスターマンメルツ (1874年10月5日-1940年10月14日)は、英国で高圧三相AC配電の使用を開拓した英国の電気技術者で、初期のイングランド北東部でシステムを構築た。国のナショナルグリッドのモデルとなった.
1889年に父親によって設立されたニューカッスル電気供給会社(NESCo)で見習いに入った。
メルツはアイルランドのコークにあるコーク電気路面電車および照明会社の最初の秘書兼チーフエンジニアになった。 メルツはコンサルティング会社を設立し、1902年にウィリアムマクレランが到着すると、メルツ&マクレランを設立。
ニューカッスル近くのウォールセンドにあるネプチューン銀行発電所では英国で最初の三相電力供給システムであった。


 バーナード・プライスとともに、彼は自動電源保護の最も初期の形態の1つを開発し、特許を取得した。このシステムは成功し、メルツ価格システムとして知られるようになった。フィリップ・ヴァッサー・ハンターがプライスを引き継いだとき、メルツは彼と協力して改良版を開発し、これはメルツ・ハンターシステムとして知られた。彼は、電気業界で「グリッドキング」と云われた。馬車ルートの電化に関する地元の路面電車会社のコンサルタントであり、イギリスの主要鉄道電化の先駆者であるノースイースタン鉄道のタインサイド地方線のコンサルタントでもあった。旅客の通勤路線と同様に、これらにはES1電気機関車を使用した0.75マイル(1.21 km)の貨物路線が含まれた。


 1907年から1913年にかけて、メルツはメルボルンの鉄道システムを電化するためにトーマスジェームズテイトに雇われた。、第一次世界大戦後の1919年に運用を開始した。1912年から15年まで英国電気工学研究所の副会長であった
メルツ自身のシステムは40ヘルツ、2万ボルトで動作しましたが、ヨーロッパのシステムに合わせて50ヘルツに変換することを余儀なくされました。
メルツは1931年にファラデーメダルを受賞し、1932年にダーラム大学から名誉博士号を授与された。土木技術者協会海員であり、アメリカ電気技術者協会のフェロー。


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