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ノースウェスト病院 North West Hospital

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メルボルンの社会史

2018年1月27日(日)
ノースウェスト病院 (旧マウント ロイヤル病院)
North West Hospital, Parkville Campus
(Mount Royal Hospita)
パークビル Parkville
メルボルン Melbourne
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ノースウェスト病院は、植民地政府により身寄りのない子供たちの入居施設として建設され、その後、職業訓練学校となった。更に老人や弱者用入居施設となり、老人用のケア病院となった。

撮影データ Canon EOS 5D MarkU 絞り優先AE 評価測光 1/160 F10.0 ISO感度 100 オート 露出補正 JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L USM 2019年1月13日12:58 板屋雅博撮影

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 ノースウェスト病院は、長い時間をかけて建設され、改築されてきた。最初は個人の所有する土地で1863年頃からリースされ、最初の建物は、1874年ー75年に植民地政府によって建てられ、ホームレスの少年の訓練学校、収容施設として使用された。ロイヤルパーク地区の中心的な建物として、政府公共建築局のピラソンとダウニー(Pearson and Downie)が設計した。最初の建物は、少女の職業訓練学校として建設され、1880年に政府の方針変更により、ホームレスの子供たちの収容所は廃止された。


  一時的に少年用職業訓練学校として使用され、1881年から82年には空室となっていた。1882年に移民援助協会が運営する自宅が無い貧困者たちの収容所となった。その後2年して年配者の為の病院としても使用された。1902年、1932年に名称が変わり、老齢者及び弱者のためのビクトリア慈善施設&病院(Victorian Benevolent Home and Hospital for the Aged and the Infirm)となった。1926年から13年間に渡り、新しい用途の為の建物が建てられた。



 最初の建物の中庭側の2階建ての建物は女性用施設建物( Women's Division1936年)である。看護婦棟(Nurses' Homes 1926年、1938年拡張)は、1874年の最初の建物と同一様式にて設計された。多くの拡張や、変更がその時々の様式にて追加された。ノースウェスト病院(旧マウントロイヤル病院は、モデル農場であった場所に建設され、いくつかの福祉団体とも関係があり、ビクトリアの社会福祉の歴史に大きな重要性を持っている。ノースウェスト病院は、植民地社会で大きな重要性を持っていた移民援助協会(Immigrants' Aid Society)の直接の後継者である。
移民援助協会は、ゴールドラッシュ時期に、貧乏で財産がない新しく移民に宿泊施設と援助を与えていた。老齢者を引き受ける先進的な慈善組織に発展していった。

ノースウェスト病院は、1882年から現在まで高齢者のケアとリハビリに専門的にまた連続的に従事してきている。

この施設はビクトリアに3つしかなかった職業訓練学校であったことも重要である。ノースウェスト病院の主要な建物群と地理的容貌は、病院自体の発展と共に老齢者や弱者へのケアに対する処置対応策の変化を反映している。
142エーカーの敷地は、ビクトリア植民地政府により1858年に実験的モデル農場を設立する為に、ロイヤルパーク公園から切り取られた場所であるが、当時の面影や証拠は外観上も残っていない。


 ノースウェスト病院の1874−75年の建物と素晴らしい中庭は、建築学上も重要である。当時たくさんいたホームレスの子供たちを収容する植民地政府の方針に沿って建設された。
上層階通路につくられたアーチに使用された当時では珍しい鍛造鉄でできた格子作品は特筆される。女性用施設棟、看護婦棟、アンブローズ・プラット記念チャペル(Ambrose Pratt Memorial Chapel )などの建物は、産業学校から老齢者ホーム、更に老齢者専門病院への用途の変遷を物語っている。
庭に起源が分からないふたつの木造建物があり、ひとつは1930年代に収容者の受け入れ事務所として使用された。もうひとつは病院の車夫(cabmen)の待機小屋として使用された。

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