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サウスワーフ

保税倉庫4番〜9番 Cargo Sheds 4, 5, 6, 7, 8, 9

メルボルン百景トップ

2014年3月23日(日)
保税倉庫4番〜9番
Cargo Sheds 4, 5, 6, 7, 8, 9
4-9 South Wharf Road
サウスワーフ South Wharf
メルボルン Melbourne
この場所の地図 Google Map

サウスワーフはメルボルンの最も新しいショッピングセンターであり、飲食店が集まる観光地となっているが、メルボルンの初期の時代、英国や欧州からの外航船が着岸する港であり、保税倉庫群があった。

撮影データ Canon EOS 5D 絞り優先AE 評価測光 1/320 絞りF8.0 ISO感度 100 露出補正 ホワイトバランス オート JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L 2010年12月14日撮影:板屋雅博

Cargo Sheds South Wharf 1 & 2 & 4-9

  1835年にタスマニアロンセストンから最初の移民団がヤラ川を上り、エリザベスワーフに着岸した。その時から1800年代の後半までヤラ川河岸はメルボルンの最初の港であった。この場所はヤラ川が港であったことを示す歴史的に重要な史跡である。サウスワーフ保税倉庫4番〜9番は、港湾施設の中でも最も重要な輸入品の倉庫であった。かつては現在のクラウンカジノの先のクイーンブリッジまで倉庫群があり、市内の最も東側の港湾倉庫であったが、クラウンカジノ建設の際に、一部は取り壊された。
倉庫群は着岸岸壁に隣接しており、着岸した船舶から輸入貨物は荷揚げ設備を経由して倉庫群に搬入された。荷揚げクレーンを使用して荷揚げ作業を行う、いわゆる在来線の時代の港湾施設であった。その後は、ロールオン、ロールオフ型のコンテナ船の時代には次第に時代遅れとなっていった。少なくとも60年以上はこの施設が使用されていた。


 ヤラ川での荷揚げ作業は都心部への近距離地点にあるが、ヤラ川は水深も浅いため小型船で喫水も浅い船だけが入ってこれる。1900年代に大型船の時代が来るまでの港であった。大型船は英国やヨーロッパからの大型船が来るとより水深が深いドックランズへと港を移していく。
サウスフワーフ第9番倉庫(一番西側、画像の奥側)は1884年に建設されたものでポートメルボルン地区に現存する最古の倉庫である。
火災により構造の一部は焼け落ちたが建物の残存部分はユニークなトオラス構造やヤラ川への接続などが良く分かり、メルボルン中心部へ近く大いに繁盛した海運業を彷彿とさせる。輸送業ではかつて一般的であった建築技術のユニークな歴史的史跡である。

倉庫群の後ろはヒルトンホテル。

  第4番から8番倉庫は1929年から31年にかけて建設された。20世紀初頭の倉庫設備標準を取り入れて現在のスライド式ドアではなくローラー式シャッタードア式を採用している。
着岸する船舶が必要とする倉庫を割り当てられるように変更可能なオープンドアフロアプランを採用していた。また灯りにはリッジランターンを警備用また照明に使用していた。



  第4番から9番倉庫群へのアクセス道路にはメルボルン産で高価なブルーストーンの敷き石を使っている。メルボルンの港湾部では最古の舗装道路である。ヤラ川南岸周辺では初期の1850年代から造船や船舶補修ドック、マリンエンジニアリング業など発展しており、倉庫群も関係が深い。サウスワーフがメルボルンの輸出入貿易の中心地であったが、隣接するヤラ川のスペンサーブリッジ橋周辺が船舶の修理補修や荷役船の造船工場などの集積地であった。メルボルン都心商業地区に非常に近い場所にこのような施設が集積していたことは当時を理解する上で重要である。



  保税倉庫群と港湾岸壁は未だに19世紀海運業の面影を残しており、そのユニークなロケーションが歴史的に重要である。
サウスバンク、サウスワーフにはたくさんの海洋関係の遺跡がある。
Robur Tea House
・Buchanan and Brock
・エンジニアリング工作所跡engineering workshop
Duke and Orr Dock 造船ドック
・チタンワイヤー製造工場 Titan Wire Products factory
・複合海洋エンジニアリングビルamalgamated marine engineers building
・ポーリーウッドサイド Polly Woodside


 上がヤラ川。
左側からバースNo9,No8,No7,No6,No5
その陸側に第9から5番の倉庫が位置する。




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