2014年11月10日(月)
ポーリーウッドサイド Polly Woodside Duke and Orr's Dry Dock サウスワーフ South Wharf メルボルン Melbourne
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サウスワーフの一角にポーリーウッドサイドの新しい母港がある。2006年に旧海洋博物館が休止してから2010年12月23日にポーリーウッドサイド記念館と共にオープンした。現在ではサウスワーフ観光のスポットになっている。
撮影データ Canon EOS 5D 絞り優先AE 評価測光 1/500 絞りF7.1 ISO感度 100 露出補正 ホワイトバランス オート JPG
レンズ EF 24-70mm f/2.8L 2013年1月19日撮影:板屋雅博
ポーリーウッドサイド Polly Woodside
建造年:1885年
進水:1885年11月7日
建造地:ベルファースト アイルランド
造船所:北造船ヤード、Workman Clark & Co Ltd
施主オーナー:William Woodside
名前の由来は、オーナーの妻、Marianの愛称Pollyから来ている。ワークマンクラーク社は造船で有名であったベルファーストの最大の造船会社であった。進水式での命名はMarianが行った。
ナショナルトラスト
初期のポーリーウッドサイドはGilbert Yeates船長のもと石炭や肥料、小麦などを英国と南ア、南米のモンテビデオ、バルパライソ、ブエノスアイレスなどの港を往復していた。1885年12月から1903年8月までの間に16航海を行っている。主な船員は20歳以下の若者が大半であった。
1904年にニュージーランドの A.H. Turnbull社に譲渡されロナ(Rona)と改名され、主にニュージーランドとオーストラリアの間を航海した。
ロナはA.H. Turnbull社の社長の娘Miss Rona Monroに由来する。1906年の価値は4300ポンドとされ、材木、セメントや塩、穀物、石炭を輸送した。
その頃から石炭焚きエンジン船との競合が増え旧式の帆船であるポーリーウッドサイドの出番は限られた。メルボルンに引き取られて石炭運搬船として使用されることになった。太平洋戦争の1943年にはオーストラリア海軍に徴用されてニューギニアへ回航され海軍船舶への給油船として使われた。戦後、再度メルボルンへ回航されその後20年は船舶燃料用の石炭供給船として使用された。
1911年に3000ポンドで売りに出され、ニュージーランドの船長Harrison Douglasが購入した。1914年から1918年の第一次大戦時の大不況で大きな損失を出し、1916年にGeorge
H. Scales社に売却された。その頃、ロナはサンフランシスコとニュージーランドの間で工業用オイルと乾燥ココナッツを輸送していた。2度の事故も記録されている。1920年3月サンフランシスコ湾でえい航中のスクーナー帆船
W. J. Pirie号と衝突し、船の前部を損傷した。1921年には石炭を輸送中、ウェリントン岬の近くのSteeple Rock岩礁で座礁している。幸い海底は砂利であった為、損傷は少なかった。ロナはウェリントン港にえい航された。1974年にドライドック入りして検査を受けた際に構造に多少の損傷が発見されている
1920年代は世界の海洋国家にとって帆船が消滅する時期であった。第一次世界大戦後の近代輸送において帆船は無用の長物となった。1921年9月にロナはアデレード汽船会社に販売された。
1925年にロナはメルボルンに回航され、その後40年間はポートメルボルンで石炭焚きの船舶へ石炭を供給する仕事に就いた。第二次世界大戦中は海軍に徴用され、ニューギニア海域で戦役に着いた。1946年に再度、メルボルンに戻っている。
ナショナルトラスト:ポーリーウッドサイド General Admission
Adult - $16.00
Concession - $13.00
Child - $9.50
Family - $43.00 ( 2 Adults and 2 Children)
Single Family - $30.00 (1 Adult and 2 Children)
1900年代後半になりビクトリア帆船愛好家などが中心になってポーリーウッドサイドの復元をリードし、1968年に豪州ナショナルトラストが民間企業から買い取った。1978年に最初の名前であるポーリーウッドサイドが復活した。現在は、旧Duke
and Orr's Dry Dock に係留されている。
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