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 メルボルン産業史

サウスワーフ

Duke & Orr Dry Dock デューク&オール造船所

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2017年2月11日(土)
Duke and Orr's Dry Dock
サウスワーフ South Wharf
メルボルン Melbourne
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デューク&オール造船所跡地は、ヤラ川河畔がかつてオーストラリアを代表する造船産業地区、港湾地区であったことを示す歴史遺産である。現在は、サウスワーフの観光地区のひとつとしてポーリーウッドサイドと共に展示されている。

撮影データ Canon EOS 5D 絞り優先AE 評価測光 1/250 絞りF9.0 ISO感度 100 露出補正 太陽光 JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L 2017年1月21日撮影:板屋雅博

 サウスバンク地区では1840年代から小型ボートが建造されていた。ジョン・ヒュー船長(Captains John Hughes)とウィリアム・シノット(William Sinnot)は、1860年代に政府所有地を7年間、賃借して最初のドライドックは1868年に完成した。1870年代にヤラ川は拡張され、港湾の建設が始まった。
1874年にメルボルンの造船業者、ジョージ・サンプソン・デューク(George Sampson Duke)は、ドライドックを作るためにヤラ川の南側土手サウスバンク地区の政府管理地3エーカーを購入した。その場所は以前、トス・ノートン(Thos. Norton)のドライドックがあった。

 South Wharf History

 Duke & Orr Dry Dockのポンプハウス

 デューク造船所(ドック)は1875年前半に完成した。1876年中旬には、ライト、オール会社が小型のドライドックを建設した。建設当初のドックのサイズは、奥行き310ft、入口ゲートの横幅40ft、中間地区横幅54ftであった。喫水14ftの船までのドック入りが加納可能であった。ドックの床、壁、ゲートは木製であった。政府のヤラ川の横幅拡張事業があったので、デュークはドックの一部を失ったが、代替地を21年リースで入手した。新しく入手した土地を使ってドックを南側エンドいっぱいまで300ft拡張した。ドックを2台設置した。
1881年外側のドックゲートは元の位置に戻され、メルボルン港湾局(Melbourne Harbour Trust )が可動式橋を建設することが出来るようになった。デュークは、その過程でドックの一部120ftの土地を失い、補償として6250ポンドを得た。

  1900年代に入ると蒸気機関船が帆船に取って代わり、船舶が運ぶ貨物量が急激に増大した。当時ビクトリア州への貨物の90%がドックランズのビクトリアハーバー又はヤラ川の港湾で荷揚げされていた。港湾局の招へいにより英国人の港湾エンジニア、ジョン・コード(John Coode)がヤラ川の改造工事に取り掛かり、川幅の拡張、水深を深くし、大型船がメルボルン市ヤラ川港湾へ入港できるようになり、サウスワーフ、ノースワーフを使用した。



  1900年代に入ると様々な船舶修理の要望により、ドックの更なる改造が実施された。1904年までに長さ:上部520ft、底部510ft、幅:上部71ft、底部61ft、深さ23ftに拡張された。新しいゲートが建設された。新しいポンプとエンジンとボイラーが設置された。
1910年にデューク造船所は、オール(Orr)の小型ドックと合併してデュークとオールのドライ合併ドライドック社(Duke and Orr's Dry Amalgamated Docks Ltd)が設立され、オールのドックは1930年代半ばに閉鎖された。1923年から26年にかけて数回の洪水が発生して修理の為に長期間、閉鎖された。1935年にまたもや洪水でドックの床が吹き飛ばされて、その後は完全にコンクリート製に置き換えられて、全長は527ftに拡張された。第一次世界大戦から終戦後の頃、船舶修理と洗浄産業は大盛況であった。しかし1929年の世界大恐慌はドライドックの需要は急速に減少した。1932年5月オールのドックは最後の船舶を修理した。

  第二次世界大戦に向かって大恐慌から立ち直り、造船業は活況を呈した。当時デューク造船所では7000トンから8000トンの能力を持っていた。デューク造船所は、終戦直後は非常に忙しかったが、1950年代後半になると豪州の沿岸貿易は減少し、逆に世界の外洋船は巨大化して豪州のドックには収まらないようになった。デューク造船所は、ノーマンビー道路(Normanby Road)があり、南東方向へは拡張できなかった。造船業は、20世紀に入ると変化が起き、ドックの必要性は薄れて1975年に閉鎖された。ジョンソン通りの新しい橋の建設が中止された後は、船によってアクセスすることになった。1977年にドックの場所はナショナルトラスト豪州に移譲され、ポーリーウッドサイドの保管場所になった。

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