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ウィリアムズタウントップ

ジェム桟橋 Gem Pier

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2007年10月10日(水)
ジェム桟橋 Gem Pier
ウィリアムズタウン Williams Town
メルボルン Melbourne
この場所の地図 Google Map (航空写真)

ジェム桟橋は、ウィリアムズタウン観光の中心地にあります。ウィリアムズタウンの港地区を散歩をするには最適の場所です。
周りにはレストランやカフェ、ショップがたくさんあります。

昨年の今日2006年10月10日(ビクトリア芸術大学)

メルボルンの海岸を整備しました。


ウィリアムズタウンは、メルボルンの定住開始から遅れること数ヶ月の1835年11月に定住が始まってます。タスマニアのロブソン コルティッシュ(Robson Coltish)船長が指揮する三本マストの帆船『Norval』号は、羊500頭と牛50頭を積んでウィリアムズタウンにやってきました。翌年には、NSW植民地のバーク(Richard Bourke)総督とWilliams Lonsdale 大佐がこの街にやってきてウィリアムズタウンの名前を英国王の名前を取って銘々しています。そしてウィリアムズタウンをフィリップ湾の外洋船の船舶停泊地(Anchorage Point)に指定しました。この時からウィリアムズタウンが豪州でも主要な港町としての発展が始まりました。


1837年に初めての土地の公開売り出しが始まりました。同じ頃に、この場所に30mの長さで石材製の最初の桟橋が建設されました。また同年には、メルボルンとの定期航路も運行を開始しています。最初の蒸気機関船の名前は、『Fire Fly』です。またタスマニアからの移民や一般乗客、増産用の羊や牛などもこの桟橋を利用していました。同じ年には人口の増加に伴いビクトリアで最初の墓地がPoint Gellibrandに作られました。

Fairfax


1839年には海上警察が組織されています。1840年にはビクトリア州最古の高校であるSt Mary's Catholic Schoolが建設されました。1847年に蒸気汽船桟橋が建設され、税関もジェム桟橋のたもとに建設されています。水上警察と税関は、1890年代までこの桟橋にありました。ウィリアムズタウンは、メルボルンの玄関港として活躍していましたが、産業用途の側面が強く魅力的な港町ではありませんでした。1850年代に入ってゴールドラッシュが始まるとウィリアムズタウンの発展は飛躍的に始まりました。

HMAS(英国海軍)Castlemaine号
第二次世界大戦で活躍した機雷掃海艇です。
入場料:おとな$5

Castlemaine号は、第二次大戦時に豪州で作られた6隻の掃海艇の一隻です。ダーウィンからポートモレスビーを中心とした北豪州海岸の援護に当たっています。直接、日本軍の脅威にさらされた地区ではありますが、日本軍との実際の交戦はしていません。当時56隻の軍艦が建造され、全て豪州の都市の名前が冠されています。Castlemaine号は、56隻のうち現存する唯一の艦艇です。


ジェム桟橋のたもとにはメルボルン行きの観光フェリーが出発しています。

Williamstown Ferry


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