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ウイリアムズタウントップ

旧メルボルン税関 カスタムハウス

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2008年3月12日(土)
旧メルボルン税関 カスタムハウス
Melbourne Cultom House
ウィリアムズタウン Williamstown
メルボルン Melbourne
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ウィリアムズタウンは、現在ではメルボルンの港湾観光地として賑わっています。
ウィリアムズタウンは、メルボルンシティから直線で6km南西、フッツクレイ経由だと13kmのヤラ川の河口に位置します。

昨年の今日2007年3月12日(ブランズウィックのカフェ idibidi


 1835年5月にメルボルンの開発者ジョンバットマン一行がヤラ川河口一帯を調査して、乗船してきた帆船レベッカ号の船長の名前を取ってこの辺りをHarwoodと名づけています。1837年にNSW植民地バーク総裁とウィリアムロンズデール船長がジョンバットマンたち不法移民者の統治の為に、Harwoodの地を訪れて、当時の英国王ウィリアム四世の名前を取ってウィリアムズタウンと名前を変更しました。
1900年頃までは、ウィリアムズタウンは、メルボルンの投錨地(アンカレッジ)、英国などの外洋船の寄港地と活躍しました。

 1838年に現在のGEM桟橋の場所に囚人労働者によって長さ30mの最初の石材製桟橋が建設されました。同じ年にメルボルンへの定期便の蒸気船『Fire Fly』号の運航が始まっています。
一般乗客の他に、タスマニアからウィリアムズタウンへ輸送されてきた牛、羊なども乗船していました。
メルボルンを含むビクトリアで最初の墓地がウィリアムズタウンに作られたのもこの頃です。
1840年に海上警察が設置されています。
1847年に蒸気船用桟橋と共に本格的な税関カスタムハウスが現在の場所に建設されました。1890年代にメルボルン港湾公社(Melbourne Harbour Trust)がヤラ川航路を開発してメルボルンの主要港は、ドックランドへと移動しました。
その後、海上警察と税関は、メルボルンシティに移動しました。

メルボルン税関(現移民博物館)

 1856年にイギリス政府よりビクトリア植民地に提供されたオーストラリア最初の軍艦『ビクトリア号』(排水量580トン、32ポンド砲)がウィリアムズタウンに到着しました。
で、ウィリアムズタウンを母港とするオーストラリア海軍が設立されその旗艦として活躍しました。ビクトリア号は、その後、ニュージーランドへ貸し出されてマオリ戦争に使われています。

  またビクトリア号は、バークとウィルスの悲劇の探検隊の生き残りを助けるために、ジーロンまで出迎えに行っています。
1865年のアメリカ南北戦争の終結の際、南軍の軍艦『Shenandoah』が入港を求めてきました。米国大使館の反対にも関わらず、入港を許可しています。

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