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ブランツ造船所及び船架台 Blunt's boatyard slipway

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ウィリアムズタウン

2017年12月2日(土)
ブランツ造船所及び船架台
Blunt's boatyard slipway
ウィリアムズタウン
Wiiliamstown
メルボルン Melbourne
この場所の地図 Google Map

長い間、船は唯一の大量輸送機関、情報ルートであった。1840年頃からメルボルンの各地で小規模の造船所、修理場が多数作られた。メルボルンの玄関口であったウィリアムズタウンでも多くの造船所があった。ブランツ造船所及び船架台は、当時の様子をうかがえる生き証人であり、歴史的な重要性は非常に高い。

撮影データ Canon EOS 5DMarkU 絞り優先AE 中央部重点平均測光 絞りF6.3 1/500秒 ISO感度 100 露出補正 オート JPG レンズ EF 24−70mm f/2.8L USM 2017年1月19日12:30 板屋雅博 撮影



 ブランツ造船所及び船架台は、ウィリアムズタウン、150ネルソンプレイスにある。ブラント一族は、1858年にジロンで造船業を始めた。
ブラント一族によって1926年から新船の造船と修理業の操業をこの場所で継続している。
ブラント一族は、この付近で1888年から造船業を操業していたが、政府による土地改良事業に伴い1900年ころから1926年までにアン通り(Ann Street)とトンプソン通り(Thompson Street)の間のネルソンプレイスの他の場所に移転した。
土地事業の完了により現在の場所の賃貸契約をして1926年から現在の場所に戻った。
24隻のヨットを含む多くの芸術的なボートが建造された。
この場所では1858年から1877年までは蒸気動力式製剤所が操業していた。また1913年から1926年までは自動車工場であった。

 ブランツ造船所及び船架台には入口部分にシンプルな四角形の作業小屋があり、ブリキ鉄の屋根と羽目板を張った壁で出来ている。この造船作業小屋の切り妻屋根は、ちかくにあるふたつの小屋と同様に、、シンプルな木製の透かし細工を上部にはめ込んだエドワーディアン様式である。建物の表には、「Blunts」と大きな文字で書かれた表札がある。
屋根は、シンプルな木製トラス構造で、中央部は鉄とスチールの補強されている。小屋のトラス構造の中で海側の半分は、床の部分をカットして、大型ボートを収納できるように調整されている。その部分には、広い空間を作るためにハンマービーム構造を採用して、追加の材木補強材をトラス構造を補強している。



  床は材木製である。表側にある事務所は、ソフト玉状のソフトウッドを張った板材で内外を装丁した。
船を海上に出し入れする鉄製のレールが内側に引き込まれている。材木製小屋と隣接したふたつの小屋は連邦政府が所有する海軍士官学校の建物に似たデザインである。海軍士官学校は、西側の小屋に隣接しており、1913年ころに建設された。



ボートを海上と陸上に上げ下げする傾斜路システムは、多くのボートヤードで見られる。当初の傾斜路は、ポートフィリップ(Port Phillip)最初の浮遊式ドック( floating dock)の一部を使って作られた。
傾斜路には、3本の鉄製のレール輸送器(rail traverser)があり、手動式ウィンチで船を上架する。陸上には6か所の上架及び作業場所がある。もうひとつのレール輸送機は倉庫へつながっている。


 倉庫の海側の入口の三角トラスは、大型ボートの屋内作業が出来るように作り変えられた。構内には長い年代に渡る各種の船架や設備・材料が見られる。主要傾斜路は、ある船から取り出して使用したものと思われる。古い本管がすぐそばに置かれている。長い材木製の桟橋にはたくさんのもやい箇所(moorings、船をつなぐ設備)があり、小型ボートに適した高さで作られている。


 長い間、船は唯一の大量輸送機関、情報ルートであった。1840年頃からメルボルンの各地で小規模の造船所、修理場が多数作られた。メルボルンの玄関口であったウィリアムズタウンでも多くの造船所があった。ブランツ造船所及び船架台は、当時の様子をうかがえる生き証人であり、歴史的な重要性は非常に高い。


 ほとんどの造船所は、歴史の中で消えていったり、大幅に近代化された。
。ブランツ造船所及び船架台は、1900年代初頭の使用方法、設備、造船所のレイアウトなどがほとんど当時のままに残っている。
ブラント一族の造船ビジネスは、ウィリアムズタウンで1888年から続けられており、ジロン時代も含めるとビクトリアでは1850年代から続いている。
最初にウィリアムズタウンに移転した場所は現在の場所よりも少し海側であったが、それにしても長い間、この場所で造船ビジネスを続けている。




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