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スポッツウッド下水処理場 Spotswood Pumping Station

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2017年6月18日(日)
スポッツウッド・ポンプステーション
Spotswood Pumping Station
スポッツウッド Spotswood
メルボルン Melbourne
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スポッツウッド・ポンプステーションは、1890年代にメルボルンの下水処理の総合処理センターとして建設された。下水処理システムの心臓部としてポンプステーションは、メルボルンの初期公共衛生の諸問題を解決する重要な役割を担った。
撮影データ Canon EOS 5DMarkU 絞り優先AE 評価測光 絞りF5.0 1/1000秒 ISO感度 100 露出補正 オート JPG レンズ EF 24−70mm f/2.8L USM 2017年1月19日11:49 板屋雅博 撮影

VHD   Science Works

Museum Victoria   eMalbourne

 完成して稼動を開始した1898年から、メルボルンの地下下水道を通して集められたすべての下水はウェリビーの処理場で一時処理をなされた後で、スポッツウッドで処理された。処理場の建設は、1894年3月に始まった。地元フッツクレイの企業Messrs Garnsworthy & Smithが基礎工事を担当した。横20mx縦100mx深さ25mの巨大な穴を掘った。硬い岩盤があったので、主に爆薬を使用した。、アークランプを使って昼夜兼行で工事を行った。
電気は隣のメルボルン・ガラスボトル工場の発電機から供給された。巨大な穴の中にレンガをコンクリートで下水引き入れ用のトンネル、下水出口用の鉄管、 上部構造のビルや重量物の機械類を支えるための厚い強化コンクリートの壁で形成された12個の大きな楕円形のポンプ用井戸などが敷設された。下水処理場の建物群の建設と機械類の設置は、1895年後半に始まり、2年後に完成した。

 正面のファサードはと急傾斜のマンザードルーフ屋根は、フランスのお城に見えるが 1800年代後半のメルボルンでは発電所などに似た設計が見られる。正面のダグラスパレード( Douglas Parade)から見て左右対称に構成されている。ふたつのエンジンハウスのそれぞれにボイラーハウスと石炭の貯留場が設置された。左右のエンジンハウスの間に玄関エントランスと中央広場があり、左右にマンザードルーフを持ったふたつのタワーがある。処理場敷地の最後部に多角形のシャフト井戸ハウスがあり、処理ポンプを傷つける恐れがある入ってくる汚水に含まれる大きなごみ類をろ過するための設備が設置された。処理場の設計デザインは、植民地政府設計技師の Christian Kussmaulが行った。

 1800年代中間期に欧州で流行したフランス第二帝国様式、クラシカルリバイバル様式であった。建築請負は、A.G. Shawでフルーストーンの基礎の上に多色レンガやボラボール(Barrabool )の砂岩で建築された。建材は、Footscray & Malmsbury Stone Cutting & Quarrying Companyが供給した。建物の後背部に二つの高さ50mの煙突があり、地下煙道を通してボイラーハウスにつながっていたが、処理場が停止した1960年代に取り壊された。ドイツ生まれのKussmaulはドイツ国鉄に勤務したあと、1885年にメルボルンに移民し、ビクトリア鉄道局の設計員として採用された。25年勤務したが、第一次大戦勃発後に、解雇された。

この地が選ばれたのは、ヤラ川河口に近くメルボルンで最も高度が低い場所であった。メルボルン中から集められた下水を重力により一箇所に集められ、そこからウェリビー一次処理場にポンプを使って集められた。各建物からの汚水は、通りの地下の下水道を通って直径2.75mの下水本道に通してポンプ場に集めらる。メルボルンのシティや南東地区から集められた汚水はホブソンベイ下水本管(Hobsons Bay Main)を使ってポートメルボルンからヤラ川の下を通ってSouth Straining Houseで処理されてスポッツウッズ下水処理場へ運ばれた。北メルボルン下水本管(North Yarra Main)は、メルボルンの北部と西部の下水をフッツクレイやヤラビルを通り、ストーニークリークの下を通ってNorth Straining Houseで処理されて下水処理場へ運ばれる。


 一次処理場( straining houses)ではポンプを詰まらせたり故障の原因になるぼろきれや瓦礫などをフィルターでろ過した。その後、下水は12本のポンプ井戸を通った。巨大な蒸気を動力としたポンプは、各下水井戸の底の貯水槽から下水を吸い上げて、3本の立ち上がったメインパイプへ圧力で送り込んだ。スポッツウッドの西3.5kmにあるブルックリン( Brooklyn)まで上り坂を通って運ばれた。そこで Outfall Sewerと言われる地表の水路へ放流される。そこから重力によってウェリビー最終処理場まで流れた。ウェリビーでは自然分解プロセスで処理され、固形分は埋立地へ、又は肥料として、水分はラグーンで処理された。きれいな水分はメルボルン湾(Port Phillip Bay)へ流された。


スポッツウッド下水処理場は既に使用を停止しているが、メルボルンの下水の4分の1は、今でもこの場所を通してウェリビーへ運ばれている。1965年にブルックリンに、更に1992年にホッパーズクロッシング( Hoppers Crossing)に処理場が出来た。

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