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ニューポート

ビクトリア鉄道ニューポート変電所

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産業史(電力)

2018年1月7日(日)
ニューポート 鉄道用タイプA変電所
Victorian Railways Type A Electricity Sub-Station
ニューポート Newport  メルボルン Melbourne
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ニューポート 鉄道用変電所は、メルボルン近郊の鉄道路線の電化の為に建設された。オーストラリアで初めての鉄道路線電化であった。ニューポート変電所は鉄道用としては当時世界最大の規模であり、メルボルン近郊電化システムは世界最先端であった。

撮影データ Canon EOS 5DMarkU 絞り優先AE 中央部重点平均測光 絞りF9.0 1/200秒 ISO感度 100 露出補正 オート JPG レンズ EF 24−70mm f/2.8L USM 2017年1月19日14:43 板屋雅博 撮影

   VHD  Victoria Railway 

 ビクトリア鉄道のニューポート変電所(タイプA)は、ビクトリア鉄道の軌道作業所局(Ways & Works Branch.)が1915年から1916年にかけて建設した。住所は、ニューポートのマーケット通り1番地である。

ニューポート変電所(タイプA)は、メルボルンと近郊の鉄道路線を電化する目的で、1914年から1916年にかけて建設された最初のシリーズのひとつで、直流Aタイプの変電所である。現存する当時の変電所は5か所ある。操業開始は、1918年。蒸気機関からの鉄道電化は、ビクトリアが全豪に先駆けて進められ、メルボルン近郊に南半球最大の発電所が建設され、世界最大の鉄道変電所が整備されることから始まった。

1 Market Street NEWPORT, Hobsons Bay City

 ニューポート及びスポッツウッヅがビクトリア鉄道のエンジニアリング整備拠点として一大拠点があり、1900年ころから1930年頃にかけて、たくさんの主要建築物が建てられた。ニューポート変電所は、1900年代初期のエドワーディアン期のバロック様式で建築されており、周囲を圧倒する巨大な建物である。

ニューポート 変電所では当初は、25Hz、1500V直流を鉄道車両にパンタグラフを通して供給するシステムであった。その後、50HZ交流方式がで導入され、ノースメルボルンとエッセンドンの新しい交流変電所が1966年に建設されて、その役目を終えた。

鉄道電化


 メルボルン近郊の電化システムは当時の世界最先端のシステムであり、その後、英国、フランス、オランダ、ブラジル、日本、ニュージーランド、インドでの鉄道電化のモデルとなった。メルボルン鉄道電化計画は、英国の技術者チャールズ・へスターマン・マーツ(Charles Hesterman Merz,)の優れた仕事であり、彼は1904年の英国ニューカッスル近郊電化システムで副技術主任をした経験を活かしたものである。鉄道用中央発電所が近郊の鉄道用に限らず、家庭用や一般産業用に使用され、各地の小規模の発電所を置き換えていった。鉄道用発電所は主要な発電所であったが、、1951年にビクトリア州電力局( State Electricity Commission)が引き継いだ。

Newmarket railway sub station

 民間会社から1896年に鉄道電化の提案が出されていたが、ビクトリア州政府が1907年にC H Merを雇用してから本格的な電化に向けた計画が始まった。メルツの総距離124マイルのメルボルン近郊電化システムは予算2,2百万ポンドの計画であった。三本線路式電流供給方式が採用され、新しい発電所がヤラビルに建設され、800ボルトの交流電流を供給する計画であった。しかしビクトリア鉄道局は、メルツの予算計画を了承せず、電化は時期尚早であるとした。1910年にメルボルン交通局が設立され、再度、鉄道電化計画を立ち上げた。州選定会議のあと、メルツの計画は州政府に承認された。

 メルツは、三本線路式電流供給方式からパンタグラフ式で直流、25Hz、1500ボルト方式を新たに提案した。中央発電所から2万ボルトの高強度3相交流電流を12か所の鉄道変電所に供給し、そこで直流に変えて、線路の上部に配置した電線から電車にワイヤで供給する方式であった。各変電所は、ボルト低下変電器(stepdown transformers)、回転式変換器(rotary converter)、スイッチギア(switchgear)などを備えていた。計画では各メルボルン近郊路線は、総延長150マイルで24マイルの支線を持つとされた。総予算の12%が変電所に使用された。1913年6月までに主要設備は、英国と米国の会社に発注された。

NEWMARKET SUBSTATION

NORTH FITZROY ELECTRIC SUBSTATION

 より高い発電能力と付随して水処理能力も要求された為に、発電所はヤラビルからニューポートに変更された。12か所に加えて変電所は、リザーバー、ニューマーケット、シーフォードが追加決定された。電化ネットワークにより電気式自動信号システムの採用も可能になった。新しい信号システムへの給電は変電所の近くに設置された。第一次対戦により建設が遅れ、ニューポート発電所は、1918年6月に給電を始め、最初の電車は、ニューマーケット変電所とフレミントン競馬場の間を1918年10月に試験走行した。最初の商業運転は、サンドリンガムとエッセンドンの区間を1919年5月28日に走ったが、豪州で最初の電車営業であった。

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