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ニューポート鉄道工場 Newport Railway Workshops

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2017年7月16日(日)
ニューポート鉄道工場
Newport Railway Workshops
スポッツウッド Spotswood
メルボルン Melbourne
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ニューポート鉄道整備場は、鉄道車両を製造、修理、改造する総合車両センターであり、ニューポートにある。1888年に本格的に建設されたが、現存する世界でも希少な19世紀の鉄道遺産であるり、豪州でも一等クラスの産業遺産である。

撮影データ Canon EOS 5DMarkU 絞り優先AE 中央部重点平均測光 絞りF5.6 1/400秒 ISO感度 100 露出補正 オート JPG レンズ EF 24−70mm f/2.8L USM 2017年1月19日14:25 板屋雅博 撮影


Wikipedia    VHD  Victoria Railway

 ニューポート鉄道工場は、1世紀以上に渡り、ビクトリア鉄道の主要工場であった。1902年から1928年の近代化の時期には工場は拡張され、機関車の製造を行った。鉄道に限らずビクトリア州で最大の製造工場であり、最大5000名の職員を雇用していた。蒸気機関車や各種車両の製造、メンテナンス、ターポリンや他の機器類、必需品が製造された。技術的蓄積も非常に高レベルで、製造メンテナンス機器類自体も工場で製造された。1900年代初期のメルボルンの富の蓄積を受けて、ビクトリア鉄道のゆるぎない自信や将来への希望、高い経営能力を示している。1888年建物群は、切り妻屋根を持つ3階建てのイタリア様式時計タワーが特徴である。


 ウィリアムズタウンにかつてあった一時的な鉄道整備場を置き換える為の計画は1860年代からあったが、実際に動き出したのは1880年代である。ビクトリア鉄道局が1880年のメルボルン万博の際の敷地を購入したことが起点である。ニューポート車両整備場(Newport Carriage Workshops)を1882年に開設した。ジーロン鉄道線とウィリアムズタウン鉄道線の中間のニューポートに新しい鉄道設備は1884年に決定された。本格的な整備工場の建設は1884年に開始され1889年に完成した。旧ニューポート車両整備場はその際に閉鎖されたが、鉄道信号機器製造工場として1895年に再オープンした。ニューポート鉄道整備場で製造された最初の客車は1889年に完成した。当初は車両のメンテナンスを目的としており、製造は、私企業に任せる予定であったが、実際には車両(主に客車)の製造もおこなった。ビクトリア鉄道の技術者Breretin及びLewis.が設計して英国鉄道整備工場をモデルとして大幅な変更が加えられた。

 蒸気機関車は、バララットのフェニックス鋳物会社(Phoenix Foundry)で製造された。同社での最初の蒸気機関車は、1893年に製造されている。
1888年に作られたニューポート鉄道整備場の主な部門は、中央事務所棟と時計台タワー、チャンピオンロードに面した巨大な給水塔、中央ブロックの売店、真ちゅうと銅の器具類センター、東地区建屋(木製客車と商品貨車の修理メンテナンス)、西部門建屋(重機関エンジニアリング、蒸気機関車、ボイラー、貨車の金属機器のメンテナンス)などである。敷地全体のレイアウトは、部品製造部門で製造された部品類は、中央組立地区へ移動されて組み立てられた。工場の主な問題点は、東地区にも西地区は、突き当りの構造で、車両が回転するトラックが無かったことである。唯一中央ブロックには車両入れ替えスペースがあった。敷地の北側には、ターポリン(防水シート)製造工場があった。1887年に建設され、1890年に2倍に拡張された。商品貨車に積まれた腐敗しやすい商品にカバーをかけるなどで大量に使用された。


1902年から1915年に工場の拡張が行われた。1888年の最初のレンガ造りの建物に拡張用波型鉄板を使用するなどして工場面積を2倍に拡張した。1900年前後にビクトリア鉄道省はニューポート鉄道工場の改造など鉄道の近代化を計画した。新しい車両、従来型客車、電気モーター、トレーラー、自動連結器を備えた緩衝装置などの製造であった。蒸気機関車や新しい電気式機関車は、すべてニューポート鉄道工場で製造された。1925年から1930年の2回の拡張が行われた。製鉄技術の進化に伴い、鉄道機器も鋼鉄を使った機関車の製造へと向かっていたので、西地区での製造が増加した。1915年以降は、西地区の敷地面積が足りないことが問題となってきた。1920年代後半に機関車製造部門の拡張が実施され、職員も増加してビクトリア州での最大の製造工場となった。


  1929年の世界恐慌から第二次大戦次期は、鉄道への投資は最小限となり、Spirit of Progress号の製造が特記される程度である。大戦時には、豪州政府が主導して豪州大陸間の輸送を円滑に進める機関車などを製造した。Australian Standard Garratt蒸気機関車、Bren Gun Carriers装甲車、Beaufort/Beaufighter軍用飛行機の胴体後部と尾翼などを製造した。
若い男性は戦地へ向かって、労働力が不足したために35%は女性となった。


  最盛時には、ビクトリア州の最大でかつ最良のエンジニアリング工場で、最大5000名の従業員が働いた。工場には独自のクリケットオーバル競技場を持っていて、トルゴ(Trugo)と呼ばれた独自のスポーツを従業員が作り出して昼食時にプレーした。戦後はフェニックス計画(Operation Phoenix)と呼ばれるが鉄道の再生事業が始まり、ニューポートは機関車の製造からは撤退した。低レベルメンテナンスやディーゼル機関車、メタル製車両が導入され、鉄道製造会社から車両を購入するようになった。鉄道車両製造からメンテナンスまで一貫して行う事業はさびれ、ニューポート工場の操業率も低下し、人員も削減された。1980年代には最初に建設された整備工場は古くなった為に日常使用からは外されて、東側に近代的な整備工場が建設され、現在も使用されている。2000年1月15日に整備工場の所有権が公共輸送公団からクライドエンジニアリング社(Clyde Engineering)に移管された。

 鉄道部門は、1927年ころに新しい東地区の1グループに集約された、当初の1888年ビルディンググループは1992年まで操業を続けた。

現在の事業は、ダウナーレイル社(Downer Rail)によって東地区作業工場で操業されている。機関車両、客車、ディーゼルエンジン、車両台車、車軸などのほーバーホールを行っている。顧客としては、Pacific NationalやV/Lineなどの鉄道会社である。
同工場は、ビクトリア州では唯一の広軌用車輪用旋盤を所有している。2018年からは、高能力メトロ車両を製造する予定である。


 A地区は、シーメンス社にリースされ、シーメンスネクサス車両(Siemens Nexas)シリーズのメンテナンスに使用されている。
1880年代の当初の整備工場は、州産業遺産として保存されている。西地区は、ビクトリア蒸気機関車(Steamrail Victoria)やビクトリアディーゼル&電気鉄道車両保存協会(Diesel Electric Rail Motor Preservation Association)、R707などの多くの鉄道保存民間団体が使用している。東部地区は、ビクトリア州設備省が使用されなくなったトラムや、鉄道車両の駐機場として使用している。すぐ近くの北ノースメルボルン鉄道駅の隣に豪州鉄道歴史協会鉄道ミュージアムがある。

ビルディング12中央ブロック 1909年建設 
ビルディング13中央ブロック 1888年
売店、パターンショップ
ビルディング14中央ブロック 1886−1888年
事務所棟 時計台タワー
ビルディング15 エンジンメンテ工場
ビルディング31 木工工場 1888−92年
ビルディング32 木工倉庫 1883年
ニューポート工場で最も古い建屋
ビルディング34  1912年
金属板製造工場
ビルディング61 1887年
ターポリン(防水シート)工場


ビルディング63と64 1885−86年 西地区
金属加工工場、ボイラー製造、機関車製造
パッフィングビリーのエンジンも製造した。
ビルディング65  1910年以降
機械工場

ビルディング65 東地区 1902−28年
研究所、塗装工場、貨車工場
ビルディング69 東地区 1888年
機械設備工場、木工工場、軽作業工場、塗装工程
ビルディング70 東地区
エンジン、ボイラー、煙突制作工場
ビルディング71 東地区 1888年
職員用施設、シャワー、洗面、トイレなどの施設。
1800年代後半で職員用施設が充実しているのは希少な例である。
ビルディング71    1887年-88年
輸送用設備建屋

  ビルディング65 給水塔 1888年
10万ガロンを貯水し、高速で供給した。消火用にも。
rolling stock (鉄道の)車両
Carriage 車両、客車
fuselage 胴体  empennage尾翼
bogie 車両台車 wheelset 車軸



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