2022年10月2日(日) responsive版 ネルソン号のアンカーとスイベルジョイント
Nelson Anchor and Swivel
コモンウェルスリザーブ公園
Commonwealth Reserve
ウィリアムズタウン Williamstown
メルボルン Melbourne
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5トンの重さの錨とネルソン錨とスウィベルジョイントは、自在軸受け(Nelson Anchor and Swivel)は、ネルソン号(HMVS
Nelson) に搭載されていたもので現在は、コモンウェルス公園とバーガイオン公園(Burgoyne Reserve)にある。
撮影データ iPhone XR
絞りF1.8 1/365秒 ISO感度 25
2022年8月18日13:07 板屋雅博 撮影
アンカーとスウィベルジョイントは、最初はHMS(Her Majesty's Ship)ベレロフォン (HMS Bellerophon) 号に搭載されていた。ベレロフォン
(HMS Bellerophon) 号は、ネルソン提督がフランス軍から捕獲した戦艦で、ナポレオン・ボナパルトをエルバ島へ囚人として運搬した。
スウィベルジョイントは、500kgの重量でローモア鉄工所(Lowmoor iron )で手作業で鍛造されたもので、最初は、ベレロフォン号(1786年建造)に装備されていた。
ベレロフォン号は、ナポレオン・ボナパルトが1815年に降伏した際の、英国の戦艦であり、ナポレオンは、ベレロフォン号によって英国へ連行された。その後、1815年にベレロフォン号は、監獄船(
prison ship)として転用された。その頃、ネルソン号は、艤装品を取り付けられているが、その際にベレロフォン号の艤装品がネルソン号に転用されたと思われる。
ベレロフォン号は、栄光の6月1日の戦い(Glorious First of June)、ナイルの海戦(Battle of the Nile)、トラファルガーの戦い( Battles of the Nile & Trafalgar)でホラリオ・ネルソン提督(Horatio Nelson)の下で戦役に参加した。
ネルソン号(HMS Nelson)は、126門の砲、3つのデッキ(three decker)を持つ英国海軍の第一級戦艦で、1809年12月に起工され、1814年7月4日にロシアのアレクサンダー(Alexander)皇帝の臨席の下で英国Woolwich
Dockyardで進水式を行った。
ネルソン号は、1865年にはビクトリア植民地に練習船として寄贈された。しかし1854年までポーツマス(Portsmouth)でドックに入ったままの状態であった。クリミア戦争での戦役を目指して準備に入ったが、完成する前に戦争は終わった。ネルソン号は、再び予備役に回った。1860年に2デッキ、計画2102馬力(1567kw)のエンジンを装備した速力10.5ノットのスクリュー装備船に改造された。1865年にネルソン号は、ビクトリア植民地に訓練船として貸与された。やっと42000ポンドをかけて装備が完了し(outfitted)、艤装(rigged)も完了した、1867年10月にオーストラリアに向けて出帆した。喜望峰(Cape
of Good Hop)経由で1868年2月にメルボルンに到着した。
ネルソン号は、ウィリアムズタウンに新たに完成したアルフレッド乾式ドック(Alfred Graving Dock)に入渠した最初の船となった。ネルソン号の武装品は、1874年のリストによると、
7インチアームストロング砲7-in RML 2門 wiki
64ポンド砲 20門 64 lb guns
32ポンド砲 20門 32 lb guns
12ポンド砲 6門 12 lb howitzers
1908年ネルソン号は、NZのユニオン蒸気船会社(Union Steamship Co)に売却された。7月にはシドニーからタスマニアのタマール川(Tamar
River)のビューティ・ポイント(Beauty Point)に石炭貯蔵船として使用する為に曳航された。
ネルソン号が1898年に売却されてシドニーに移動された際に、2個のアンカーを引き上げることが困難であり、チェインが切られて、2個のアンカーは、ホブソン湾の海底に残された。1936年に港湾局による浚渫の際にアンカーが発見されて、引きずられてアン通りの外れに置かれた。当時はスクラップとして売却される予定であったが、ハートレイ・ワトソン船長(Captain
Hartley Watson & the Vigilance Association)の努力によって、港湾局は協会に供与した。1941年に1個はコモンウェルス公園に、もう一個は、バーガイオン公園に置かれた。
コモンウェルスリザーブ公園に置かれたアンカーは、1846年に鍛造されて、3トン 15cwtの重さがある。
HMVS (Her Majesty's Victorian Ship) ビクトリア植民地
1879年〜82年に、ネルソン号は、シングルデッキ、艤装はメインマストのみに縮小されフリゲート艦に格下げとなった。旧式な砲門は近代的な元込め、砲尾装填式(breech-loaders)に交換された。ネルソン号は、1891年にウィリアムズタウンでドック入りし、ボイラーは1893年に取り外された。1898年にオークションに掛けらて、2400ポンドでシドニーのBernard
Einersonが購入した。
1915年にネルソン号は、ホバートに曳航され、石炭貯蔵船として使用され、1920年に Mr. H Grayに500ポンドで売却され、Shag
Bay.まで川を上ったが、徐々に解体されていったが、木材の一部は健在であった。ネルソン号の船首像は豪州海事博物館に展示される際に、NSW州海軍(NSW
Naval Brigade)、現豪州海軍によって保存されている。
ネルソン号の砲門は、メルボルンのビクトリア・バラックスの前や、フォート・クインズクリフなどビクトリア州内の公共エリアに分散して保管してある。
RML 64-pounder 58 cwt guns (Rifled Muzzle Loader, converted 32-pounder
smoothbores)
ローモア鉄工所は、イングランドのヨークシャー、ブラッドフォードの南5kmのローモアに1791年に設立された錬鉄鋳物工場(wrought iron
foundry)である。同地区に産出する高純度鉄鉱石と低燐石炭の利用を目的として建設された。ローモアでは1801年から1957年までの間に鉄製品を世界中に輸出し、一時期にヨークシャー最大の鉄工所であり、鉱山、石炭、鉱石、キルン、高炉、鍛造所、巣タグ捨て場(slag
heaps)などが鉄道で繋がれた複合施設であった。近隣の田舎町はゴミ捨て場と化して、機械や炉体から出る煙が空を汚した。
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