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アルトナ桟橋 The Pier of Altona

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2008年12月18日(水)
アルトナ桟橋 The Pier of Altona
アルトナ Altona
メルボルン Melbourne
この場所の地図Google Map (航空写真)

今日も相変わらず肌寒いメルボルンです。午前、午後とも曇りでしたが、夕方からは多少、晴れ間も見えました。夜には少し飴が降っています。気温は、13度〜18度ほどです。

昨年の今日2007年12月18日(4人の道化師

Canon EOS 40D シャッター速度 1/200 秒  絞り数値 F9.0 マニュアル  ISO感度 100 画質圧縮率 RAW
レンズ EF-S17-85mm F4-5.6 IS USM

今日の為替レート:1A$=62.98円 

 アルトナは、メルボルンから13kmほど西にへ行った場所にあります。
メルボルンの西の玄関口であるウィリアムズタウンから更に西へ数Kmほど西にあります。
アルトナは、石油の精製プラントや、トヨタ自動車の製造工場などがある為に、一般には産業地域として考えられていて、住居用としては人気はいまひとつでした。
しかし近年ではシティへの距離が近く、美しい海があることから人気が高まっています。
ドイツ人のAlfred Langhorneという人物が1842年に住み始めています。地図上にアルトナの名前が出るのは1861年のことです。
やはりドイツ人のTaegtowという人物が自分の出身地ハンブルグの町の名前を取って名づけています。

 Taegtow氏は、1881年に石炭の採掘会社を設立しています。
1886年にアルトナのMerton通り沿いに住宅地が販売されています。
1901年にビクトリア州政府がアルトナの西部地区に爆発物の製造工場を作っています。
1911年2月20日には、オーストラリアで初めての飛行機の飛行実験がアルトナからジーロンまでJ J Hammond によって行われました。
世界で初めての飛行機は、1903年12月17日のアメリカノースカロライナ州でのライト兄弟の飛行実験です。
ちょうど105年前の事です。
1909年には、世界で初めて、英国フランスの海峡を越えた飛行が行われています・
日本でも1910年に徳川大尉による飛行が行われました。
オーストラリアや日本も世界の動きに機敏であったことが判ります。

 1908年から1919年まではアルトナでトンネル採掘による石炭の採掘がおこなわれており、これが地域経済を牽引していました。
しかしその後、ビクトリア州北西部のラトローブバレーに大量の褐炭(Brown Coal)が発見され、オープンカット方式で大量に安価に採掘されるようになるとアルトナでの炭鉱は閉鎖されました。
オーストラリアは、世界でも屈指の石炭産出国ですが、そのほとんどは、クイーンズランドで産出します。クイーンズランドの石炭は、瀝青炭など高品位の石炭が主力で日本など世界中に輸出されています。
しかしビクトリア州の褐炭は、低品位でかつ水分を多量に含んでいるために輸送に適してなく輸出はまったくされていません。
地元での電力用に使用されていますが、CO2を大量に発生して地球温暖化の元になるために問題が多いとされています。

 アルトナがその発祥の時代から産業地区であったことが理解できます。
現在でも産業地区であることに変わりはありませんが、一方で住宅化が急速に進んでいる地域でもあります。
住宅化が遅れた為に、自然が残された一面もあります。
自然と産業と住宅が共存する地域です。


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