2008年4月27日(日)
退役軍人のパレード Veteran's Parade
アンザックデー ANZAC DAY
プリンセス橋 Princes Bridge
メルボルン Melbourne
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今日は雨は降らなかったものの、気温は大幅に下がり、日中でも15度ほどでした。朝晩は、10度以下と冷え込んでいます。
昨年の今日2007年4月27日(Your Bar)
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左から
オーストラリア国旗
英国国旗
アメリカ合衆国国旗
POW MIA旗
Prisonor of War は、戦争捕虜
MIAは、Mission in Action です。戦争や紛争の作戦行動中に不明になった兵士の意味で、怪我、死亡、捕虜になったために、未帰還となったことを意味します。この旗は、MIAの家族が未帰還兵の捜索を目的としてつくられたものです。ベトナム戦争の際に多くのアメリカ軍兵士が未帰還となり、その家族の会が中心となってつくられました。ベトナム戦争のあとも、多くの戦争が発生しており、POWMIAの数も増加しています。
オーストラリアに英国が植民団を送り込み始めた1800年ころ、フランスは、インドシナ半島の植民地化を図ります。メルボルンがゴールドラッシュで沸く1850年代にナポレオン3世は、フランス人宣教師の保護を名目にベトナムに遠征軍を派遣します。
ベトナムを植民地としたフランスは、1863年には、カンボジアも植民地とします。
勢力争いのため、1884年には中国(清国)と間で清仏戦争が勃発します。
1887年には植民地フランス領インドシナ国が成立。
ベトナム、カンボジア両地域における鉄道、地下資源、主要産業をほとんどフランスが独占する植民地経営です。
1940年に中国へ進駐した日本軍は、フランス軍を追い払い、ベトナムからタイまでの広範囲を軍事勢力下に置きます。
1945年に日本が敗戦により撤退すると、中国国民党と英国軍が進駐してきます。
その混乱の中で、ホーチミンは、1945年10月に共産主義政権のベトナム民主共和国(北ベトナム)の独立を宣言します。
日本軍が去った後のベトナムを再度植民地しようともくろむフランスが再度、ベトナムへ派兵して北ベトナムを攻撃して第一次インドシナ戦争が勃発します。
ここがベトナム戦争の発端です。
その頃1949年に共産主義中国が成立し、ソビエト連邦と共に、北ベトナムに対して積極的な軍事支援を開始します。第一次インドシナ戦争で敗退したフランスに代わって共産主義陣営と戦うために全面に出てきたのがアメリカ合衆国です。
1955年には親フランスアメリカ政権南ベトナムが成立。
1960年に北ベトナムの支援を受けて南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)が成立します。
南ベトナムを支援して軍を派遣したのは、アメリカを中心に豪州、NZ、フィリピン、タイ、韓国があります。
オーストラリアは、現在でもこの国々を重要な軍事同盟国とみなしています。
また英国が参戦してない本格的な戦争に豪州、NZが参戦しているのは注目すべき点です。
一方で、北ベトナムとベトコンを支援したのは、中国、ソ連、北朝鮮です。
資本主義国陣営と共産主義国陣営の本格的な代理戦争でした。
豪州は、1962年に陸海空軍50,000人の兵力を送り込み、本格的に南ベトナムを支援し、戦争終結までに数千人が死亡しています。
アメリカが敗退してベトナム戦争が終結し、1976年に南北ベトナムが統一されます。ベトナム戦争のあと、ベトナムは中国と戦争をするなどして国際社会から孤立します。その困窮の中で、多くのベトナム人が豪州へ移民しています。
現在、約20万人のベトナム系オーストラリア人が居住していてその約40%がメルボルンに住んでいます。
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