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着物コンテスト Kimono Contest

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2009年5月23日(土)
着物コンテスト Kimono Contest
ジャパンフェスティバル 
Japan Festival
ボックスヒル Boxhill
ベルグレイブ線、リリデール線
メルボルン Melbourne
この場所の地図 Google Map

早朝は、素晴らしい晴天であった。しかし午前中にはうす雲がメルボルンを覆った。薄日がさすまずまずの一日であった。

昨年の今日 2008年5月23日(イタリア料理 ビア ボラーレ

本日の追加画像は、12枚。
メル百クラブ会員専用

入会無料

 ジャパンフェスティバルの最大の人気イベントは着物コンテストだ。当日の自由参加であるが、20名ほどの応募者が参加した。

優勝者、トップ画像、左端のオージー女性だ。第二位は、トップ画像の真ん中のオージー男性。第三位は、トップ画像右端の日本人女性だ。背が高いオージーが着ものを着ると日本人とはひと味違った着ものの良さが出る。


Canon EOS 40D 絞り優先AE シャッター速度1/400秒  絞りF2.8 スポット測光 +1/3 ISO感度 1600 AWB  画質圧縮率 JPEG  レンズ EF 70-200 mm f/2.8L IS USM

 着物は、元来、中国から伝わった衣服を日本で改良した日本独自の伝統服飾だ。
和服という言い方もあるが、これは、明治以降になって西洋の衣服を洋服と呼ぶことに対して、日本の伝統的衣服を和服と相対的に読んだ新しい言い方で、従来は、着物と言った。当時の着物という言い方には、日本と海外の衣服を区別する考えはなかった。きものを呉服、きもの店のことを呉服店と言うがこれは、これは三国志の時代である3世紀頃に中国の呉の国から衣服が日本へ入ってきたことを示している。
日本は、まだ先史時代である魏志倭人伝の邪馬台国の時代であり、如何に古くからの言葉であるかが判る。日本は、奈良、京都の都の造成や、官位、法律など全て中国の様式をそのまま輸入し、規模を小さくして使用した。役人が着る制服も基本は、中国から様式を輸入したものだ。

 現在で云う中国の衣服、チャイナドレスは、清の時代(1644−1912年)のものだ。清は、モンゴル系の満州族が中国を征服した王朝であり、その衣服も満州族のものである。従って現在のチャイナドレスは、漢民族古来のものではないことがわかる。
中国古来の衣服は、実は日本の着物として現在に伝わっている。
尚、チャイナドレスに足が見えるスリットが入ったり、ボディラインが強調されたデザインが多いが、これが中国で一般に使用された実績はまったくない。西洋や日本が中国を侵略した1910年代以降の上海などのキャバレーや映画などで流行したものだ。


 ベトナムのアオザイは、清朝の時代(18世紀)にチャイナドレスがベトナムへ輸出されて、独自の発展を遂げたものだ。
スリットが入ったり、ボディラインを強調するデザインは、フランスがベトナムとカンボジアを植民地としてしていた時代にフランス人の好みによって改良されたもの。

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今日の会員用追加画像は、着物コンテストを縦画像で10枚ほど。

本日の追加画像は、12枚。
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