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クリスマスパレード 2010

ブラジル サンバ隊

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2010年11月14日(日)
ブラジル サンバ隊
マイヤークリスマスパレード
Myer Christman Parade
バーク通り Bourke Street
メルボルン Melbourne
この場所の地図 Google Map

小雨が降る今年のマイヤークリスマスパレードの中で、一番、活気があったのはブラジル・サンバ隊であった。

撮影データ Canon EOS 50D プログラムAE 評価測光 絞りF10.0  1/200秒 ISO感度 800 露出補正 AWB JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L USM


 サンバは、ブラジルの代表的国民音楽としてしられている。
ブラジルには、紀元前10000年ほど前にベーリング海を渡ってやってきたアジア系の原住民(インディアン、インディオ)が住んでいた。アメリカインディアン、中南米のインディオ、インカ帝国のインディオなどと同じ民族。
1450年ころ、ポルトガルのエンリケ航海王は、世界探検を決意し、大がかりな探検隊を大西洋へ送り出す。
1488年バーソロミューディアズ、アフリカ最南端喜望峰を発見。
1498年バスコダガマが東アフリカ沿岸を探検しながらインドへ到達。インド航路確。
1500年 ペドロ・カブラルがブラジルを発見。
 
 オーストラリアの発見は、公式には、1606年のダイフケン号(Duyfken)によるオランダ東インド会社のウィリアムジャズーン船長。
しかしそれ以前の1500年代にはポルトガルの探検船が何度かオーストラリア沿岸を訪れている。
1541年スペイン人フランシスコザビエルがポルトガル王の依頼でキリスト教の布教のため日本へ到着。
1549年ブラジルがポルトガルの植民地となり、初代ブラジル総督としてトメー・デ・ソウザが最初の首都サルヴァドール・ダ・バイーアに着任。
サンバは、サルヴァドール・ダ・バイーアで生まれ育った音楽。
ポルトガルがアフリカから多くの黒人を奴隷としてサルヴァドール・ダ・バイーアに持ち込んだことに起因している。
アフリカの音楽とポルトガルの西欧音楽がブラジルでミックスされた。

ポルトガルは、黄金時代の1400年代から1500年代前半から以降は、厳しい時代に入る。
1580年に王位継承の問題からスペインに併合。1640年にスペインから独立するが、その国力は、最盛期には程遠い状態。
1808年には、ナポレオンによって国を占領され、王室は、植民地ブラジルに逃れ、1822年までポルトガルの首都をリスボンからリオデジャネイロに置いた。

サルヴァドール・ダ・バイーアから多くの住人がリオデジャネイロへ移動。サンバの中心地はリオデジャネイロへと移動。
リスボンから逃げてきたポルトガル人にも浸透し、ブラジル独特のサンバを作り上げた。

 オーストラリアへのポルトガルからの移民は、古くマデイラ諸島(Madeira)や、アゾーラ諸島(Azorea)の船乗りがイギリスからの囚人移民船とともにやってきて住み着いている。第二次世界大戦後の1950年代からやはりマデイラ島などから移民が始まる。

オーストラリア全体では、ポルトガル人の数は、4万人(ポルトガル生まれは、15000人)、ビクトリア州では、7000名(同2500名)。
一方、比較的に政情が安定したブラジルからは移民数は多くは無く、現在で2000名ほど。


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