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サウスバンク Southbankの結婚式

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2006年12月1日(金)へ17時30分
サウスバンク Southbankの結婚式
サウスバンク Southbank
Melbourne
Melway 1A−J12
この地区の地図Googole Map

早いもので今日から12月です。
今日も30度に気温があがりました。
やっと夏になったかと思います。
しかし明日は、またまたクールチェンジで20度以下へと下がります。

花嫁さんお付の人も紫外線の強いメルボルンらしく全員サングラスです。


隣で結婚式写真撮影で盛り上がっていますが、我、関せずで本を読むお嬢さん。

このあたりは海水が上がってくるので、干満の差が大きく、そのため浮き桟橋も対応できるような構造になっています。右側の柱の下に上下できるスライダーSliderが付いています。

このヤラ川Yarra Riverですが、イギリス人がメルボルンに来る前に、このあたりに住んでいた原住民アボリジニの種族ウルンジェリWurundgeriは、ビラルンBirrarungと呼んでいました。
Yarraとは、ウルンジェリの言葉で、滝を意味しておりメルボルンの西にあるウェリビーWerribeeの滝を意味していたのを、イギリス人が間違って川の事だと思い込んだのです。


正面はサンドリッジ橋Sandridge Bridgeです。この橋は、メルボルンの有名な建築家デビッドムンロー(David Munro)によって1888年(明治21年)に建築されました。プリンセス橋(Prince's Bridge)1888年、クイーンズ橋(Queens Bridge)1890年もデビッドムンローの建築です。1851年に始まったゴールドラッシュにより富がメルボルンに集中し、次々と市内の建設が進みました。この橋は、スチール(鋼)で出来ています。それ以前の不純物の多いアイアン(鉄)から高純度の鋼への転換期を示す時代でした。なお、この橋の建築には若きエンジニア John Monashがムンローによって雇われています。もちろんMonash大学は彼の名前に由来しています。1855年(安政元年)〜1890年(明治33年)にかけてメルボルンの都市の基盤が固まった時代です。サンドリッジ橋は、今年、歩道橋として生まれ変わりました。

メルボルンの結婚式のハイライトのひとつは記念写真にあります。街のいたるところで記念撮影をしています。メルボルンは、記念撮影に足りる街並みです。100年経ってもフリンダース駅はその姿を残すことでしょう。(背景のビル群は変化するでしょうが。)
ヤラ川は、メルボルンの東92kmのところにあるヤラレンジ国立公園Yarra Ranges National Parkの湖沼地帯が水源です。メルボルン水道局の管理人以外の立ち入りを禁止されています。メルボルンの飲み水をほとんど支えていますが、ここに雨が降らないのが、大問題なのです。
メルボルンを流れる水は不足している様に見えませんがこれは大部分は海水です。

正面は、フットブリッジです。

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