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2007年5月10日(木)
ヤラ川の花火 クラウンカジノ10周年記念メルボルン ジャズ インターナショナル フェスティバル Melbourne Jass International Festival
エンタープライズ公園 Enterprize ParkとEntreprize Wharf メルボルン Melbourne
この場所の地図 Google Map

今朝のメルボルンは、かなり冷え込みました。日中は、良い天気で、気温も20度くらいまで上がりました。明日から週末は良い天気になる予報です。

正面の橋は、クイーン橋(Queens Bridge)

昨年の今日2006年5月10日

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左端のヤラ川縁の建物はメルボルン水族館(Melbourne Aquarium)。その右側はEnterprize ParkとEntreprize Wharf。水族館の左側にバットマン公園があります。

1835年に英国人が定住する以前、現在メルボルンと呼ばれている場所には、原住民族アボリジニの部族であるKulin族が約30,000年前より住んでいました。彼らは、メルボルンの海であるフィリップ湾で取れる魚や、メルボルンの草原での狩猟で生活を立てていました。英国人の定住以降、アボリジニの人口は、英国人が持ってきた病原菌(主に性病)や、アルコール、大規模な虐殺により大幅に減っていきました。1870年までには、メルボルン地区のアボリジニは、ほぼ絶滅しました。現在、メルボルンに住んでいるわずかのアボリジニはビクトリアなどの他の地区からの移住者です。


ビクトリア州に最初に殖民したのは、ヘンリー一家です。メルボルンの西400kmのところにあるポートランドに1934年に定住しています。
ヤラ川をさかのぼってメルボルンの地に、最初に入ってきたのは、タスマニアの悪漢ジョンバットマン(John Batman)です。バットマン公園参照。
バットマンの契約という詐欺同然の契約によってアボリジニからビクトリア州の大半を手に入れたジョンバットマンは、1835年6月にヤラ川を上ってきています。その後、バットマンは、いったんタスマニアのロンセストンに戻り大規模な移住計画に取り掛かります。しかしタスマニアには、もうひとつのメルボルンの移住を計画している男がいました。John Pascoe Fawknerです。2007年2月23日参照。 

John Pascoe Fawknerは、ジョンバットマンがタスマニアに一時、帰還していた時期にやってきました。彼の3本マストのスクーナー『エンタープライズ号』が良い定住を探しながらヤラ川を上っていきました。1835年8月30日に停泊地と決定してエンタープライズ号を着岸させたのが、この花火の打ち上げ場所であるEnterprize ParkとEntreprize Wharfです。
そして直ぐにこの場所に船から荷物を降ろして、定住を開始しました。即ち、メルボルンの第一歩は、この地から始まったのです。1935年8月30日がメルボルンの誕生日であり、この場所こそが誕生の地なのです。(そういうことがこの場所にはまったく書いてありません。)

エンタープライズ号と停泊地メルボルン


 初期のメルボルンの市内
右側の丘の上の二階建ての建物は税関。今の移民博物館。
手前の通りは、フリンダース通り。手前の建物にCoffeeと書いてあるのが、さすがメルボルン。

クラウンカジノは、今年で10周年になります。5月13日まで10周年の記念行事がたくさん行われています。

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