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ヤラ川A

サンドリッジブリッジ Sandridge Bridge

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2007年12月21日(金)17:00
サンドリッジブリッジ Sandridge Bridge
サウスゲート Southgate
メルボルン Melbourn
この地区の地図Googole Map

今日は、午前中は雲は出てましたが、いい天気でした。しかし昼ごろから雨が降り出し、夜まで降り続きました。気温は、24度ほどでしたが多少、蒸し暑さと肌寒さを感じる一日でした。

昨年の今日2006年12月21日(四人の道化師

雨の合間のメルボルン。今晩は、クリスマス前の金曜日ですので、街は盛り上がってます。

 サンドリッジブリッジ
1851年7月にメルボルン郊外に歴史上かつてない規模の金鉱山群が見つかります。ゴールドラッシュの始まりです。
ステーションピア参照。その数ヵ月後には世界中からメルボルンに一攫千金を夢見る男たちが集まりました。やってきたのは、メルボルンのサンドリッジの海岸です。事態を重く見たビクトリア植民地政府は、豪州で最初の鉄道線、サンドリッジ海岸−メルボルン線の導入を決定しました。
サンドリッジ海岸に作られたのが、豪州最大の桟橋であるステーションピアです。メルボルン側に作られたのが、フリンダースストリート駅です。そしてヤラ川を渡るために作られたのが、サンドリッジ海岸の名前を取って名づけられた、このサンドリッジ橋です。

 サンドリッジ橋は、1853年と1859年に掛けかえらr手います。現在の橋は、1888年に掛けられました。設計は、メルボルンの数多くの橋を手がけたデビッドムンロー(David Munro)です。若き技術者ジョン モナッシュ(モナッシュ大学)も参加しています。

この橋の大きな特徴は、主要構造材に鋼(スチール)を使用している点です。それ以前には、炭素などの不純物を多く含んだ鉄でした。1856年に英国のヘンリーベッセマーが、安価で短時間で鉄を鋼に変化させるベッセマー転炉を発明しました。日本に近代製鉄所が出来たのは、1901年の官営八幡製鉄所が最初です。

 それにしても高価なスチールを大量に英国から帆船で運ぶにはほとんど同じ量に近い莫大な金塊がメルボルンから、英国へ運ばれたことを意味します。英国の産業革命を支えたのはメルボルンの金塊だったのです。鋼の使用により120年後の今日でもほとんど変化することのない強度を保持しています。
メルボルンの歴史は、移民の歴史です。豪州最大の桟橋であるステーションピアは、移民を迎える為の桟橋です。これまで数百万人の移民を受け入れてきました。その全てと云っていい人々はこのサンドリッジブリッジを通ってフリンダース駅へと向いました。サンドリッジ橋は、1987年にその使用を停止しました。その後、無用の長物として解体の話も何度も出ました。


2006年の英国連邦スポーツ大会の際に、観光用の歩道橋として生まれ変わりました。その際に、各国別のプレート(The Travellers)が設けられ、その国の移民の歴史が語られています。橋の左側に設置してあります。

大雨のあとですが、常に楽しむ事を忘れないメルボルンっ子は、雨で増水したヤラ川も楽しんでいます。

サンドリッジ橋(夜)

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