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ヤラ川 A

ヤラ川の鵜

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2008年1月11日(木)
ヤラ川の鵜
サンドリッジ橋 Sandridge Bridge
サウスバンク Southbank
メルボルン Melbourne
この地区の地図Googole Map

午前中は、曇ってましたが気温は34度ほどあり、蒸し暑い朝でした。
天気予報どおり午後からは快晴になると同時にクールチェンジが始まり、気温は急降下しました。夕方には、25度ほどまで下がり、快晴の中、秋風が吹いていました。

ヤラ川にもいろんな水鳥がいます。鵜もそのひとつです。ひょうきんな動作で人気者です。

 サンドリッジ橋。
一般に橋は、川に対して90度直角に架かっているのが普通です。最短距離を通し、建設資材を少なくすることと同時に、増水時の流速により橋にかかる負担を防ぐためです。
ところがこのサンドリッジ橋は、ヤラ川に対して33度の傾きを持っています。
この橋は、サンドリッジ橋として1888年に建築された史上3番目の橋です。前のふたつは木造でした。1888年には、豪州にまた日本、アジアにも本格的な製鉄所は存在しません。即ち、この鋼材は、全て英国から帆船で持ってきたのです。
そして英国へ帰る帆船には金塊や羊毛を満載しました。
33度の傾きは当時最新の技術力と資金力があって初めてできたことなのです。
建設は、デビッドムンロー。若き日のジョンモナッシュも参加しています。
  
 1888年には、プリンセス橋も同時に架け替えられています。フリンダース駅(現在の建物)も新築へ向って動き出しています。
当時、ヤラ川の川幅を大幅に広げる大工事に着工しています。治水の目的と大型船がこの辺りまで遡ってこれるようにする為です。

豪州の住民の大半は、移民です。その多くの移民は、豪州最大の港、ステーションピアからこのサンドリッジ橋を通ってフリンダース駅へ向いました。その移民の歴史を記念して2006年にサンドリッジ橋の上に記念モニュメントとプレートが建てられました。橋の上に見えている金属がそれです。

夜のサンドリッジ橋
  
 1月10日のコリンウッド電信郵便局
下記がわかりました。
建築:1891年−1892年 ビクトリア期
建築様式:Mannerist
建築家:John H Marsden (ビクトリア植民地政府公共建設課)
ビクトリア州遺産登録

1901年に豪州連邦政府が成立し、メルボルンは初代の首都になります。
1880年から1890年にかけては、メルボルンに最も勢いがあった時代です。このビルは、スミス通りの商人たちの資金が投入されています。当時、ブランズウィック通り、ウェリントン通りの商人たちと覇権争いがあり、スミス通りの商人たちの心意気をこの電信郵便局に込めています。
独特の主張があるタワーは、そういう背景があります。Mannneristをメルボルン百景の検索で引くと、ブロックアーケードが該当しました。Mannerist様式とは、イタリア様式のひとつです。
  
 

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