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ヤラ川B

クイーンズ橋 Queens Bridge

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2008年4月10日(木)
クイーンズ橋
Queens Bridge
ヤラ川 Yarra River
メルボルン Melbourne
この場所の地図 Google Map

クイーンズ橋 Queens Bridge は、メルボルンの建設当時を思い出させる重要な橋のひとつです。

メルボルンの最初の定住者ジョンフォークナーは、タスマニア(当時は、バンディーメンズランド)のジョージタウンから3本マストのスクーナー『エンタープライズ号』で1835年8月30日に定住に向いた場所を探しながらヤラ川を上っていきました。

昨年の今日2007年4月10日(トレーズホール Trades Hall )

左は、サウスゲートのビル群

 エンタープライズ桟橋(高校生が座っている場所)
ヤラ川の河口付近は、海水が混じる川ですが、飲料に適する淡水だけの川がヤラ川に流れ込んでいるのは、1803年2月3日にヤラ川の発見者である大英帝国海軍測量官チャールズグリム船長が報告しています。

現在のクイーンズ橋が架かる場所には、川があって滝となってヤラ川へ流れ込んでいました。この川は、メルボルンの東側の高台(イースタンヒル スプリング通り)と西側の高台(ウィリアム通り)の中間の低い場所に南北に流れる川で、現在のエリザベス通りです。川の周りは湿地帯となっていました。滝の名前をThe Fallと言います。古い文献にクイーンズ橋の前身をThe Fall橋と記されています。この滝の残骸が橋のたもとに残っています。

尚、ジョンフォークナーは、事情によりエンタープライズ号には乗船していません。

 エリザベス通りが、川であったことから水はけが悪く、湿気、病気などに悩まされたことは、初期の中央郵便局の記録にもあります。 GPO参照

The Fall川の川水が良い飲料水であることを確認したジョンフォークナー一行は、滝の西側にエンタープライズ号を停泊させます。ここがメルボルンの最初の港となります。これを記念して、この場所をエンタープライズ桟橋(Enterprize Whart )と云います。

ジョンフォークナーが上陸した8月30日は、メルボルンデーとなっています。

メルボルンデー

エンタープライズ号

クラウンの花火 定住の情況

エンタープライズ公園トップ

 クイーンズ橋は、隣のサンドリッジ橋と同様にデビッドムンロー (David Munro 1844-1898)の製作です。構造的には、似ていますが、サンドリッジ橋は、鉄道用であるのに対してクイーンズ橋は、一般道路用です。トラムが通るので強固に作ってあるのが橋げたからも判ります。

ムンローは、1854年にスコットランドからメルボルンに家族と共に移民してきました。
主に鉄道や橋などの大型公共建設を得意とする建設会社と産業機械を扱う会社を経営しています。ビクトリア州が鉄道建設であった1870年代から1880年代には、メルボルンで最大の雇用者数を持つ大会社でした。

 クイーンズ橋
製作年:1890年4月
製作:デビッドムンロー David Munro & Co
建築時代:ビクトリアン Victorian

デビッドムンローの主な作品
サンドリッジブリッジ(ヤラ川)
プリンセスブリッジ (ヤラ川)

クイーン橋スクエア

David Munro

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