2019年9月14日(土)
万国博覧会 International Exhibition ロイヤルエキジビジョンビルディング Royal Exhibition
Building カールトンガーデン Carlton Garden メルボルン Melbourne
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ロイヤル・エキジビション・ビルディング(REB)とカールトン・ガーデンズは、2004年7月1日にユネスコ世界遺産に登録されました。REBは、19世紀と20世紀初頭にあった万国博覧会運動の国際的な影響を受けた産業の殿堂の遺跡である。
撮影データ Canon EOS 5D MarkU 絞り優先AE 評価測光 1/400 F8.0 ISO感度 100 オート 露出補正 JPG
レンズ EF 24-70mm f/2.8L USM 2018年1月16日9:15 板屋雅博撮影
VHD
万博は、技術的な革新と変化のショーケースであった。万博を通じて、知識と知恵の交換を通じて、産業化と海外貿易の促進を図った。REBは、1880年の万国博覧会を開催する為に1879年から1880年に建設された。この建物がオーストラリアで開催された展示会建築物の唯一現存する遺跡であり、世界でも限られ残存物であり、カールトンガーデンズの中にある。賞金300ポンドの建築コンペが開かれ、著名な建築家ジョセフ・リード(Joseph
Reed)が一等になった。落札業者(successful tendere)は、デビッド・ミッチェル(David Mitchell)が70,257ポンドで落札した。植民地政府知事
Sir George Bowenは、1979年2月19日に礎石を置き、1880年10月1日にオープンした。博覧会の為に建てられた一時的な建物は、万博が1881年4月30日に解体された。
続く1888年の豪州建国100年記念展覧会が開催されビクトリア史上最大のイベントのひとつとなった。1900年頃には、コンサートホール、博物館、アートギャラリー、水族館、スポーツグラウンドなどに使用された。REBは、連邦政府にとって重要な役割を果たした。1901年5月9日にヨーク公(Duke
of York)が第一回連邦議会の開会を宣言した。1901年から1927年までビクトリア州議事堂が、連邦議事堂として使用された為に、REBの西館(
western annexe )が暫定ビクトリア州議会として使用された。1919年にREBは、流行したインフルエンザの患者用の緊急病院として使用された。第二次大戦中は、豪州空軍に使用された。1948年から1961年までは移民受け入れセンターとして利用された。戦後の時代には、幅広い用途で使用され、ホームショーのような展示会場としても使われた。
REBは、建物の設計形状が十字形をしており、主要な東西の基軸の中央に大ホールと呼ばれる回廊が設けられた。中央ドームは、60mの高さがあり、東西回廊と南北回廊の中央部に位置する。南翼には幅13mの半円球の扇形明り取り窓があり、両側にふたつのタワーを配置されており、その配置によりメインエントランスを構成している。ルネッサンス様式を採用しており、建築家フィリッポ・ブルネレスキ(Filippo
Brunelleschi)が設計したサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のドームをモデルとしている。1880年代の若い英国植民地の経済的自信を感じさせる。REBは、メルボルンの著名な建築家ジョセフリードが設計した最大の建築物である。
連邦議会の開会のためにジョン・アンダーソン(John Anderson )が行った装飾計画は、ドーム天井を空を模擬的に見せている。ドームの支柱柱には壁の壁画が飾られた。独特で興味深いことは、建物全体を通して装飾されたむき出しになった屋根の三角構造である。装飾スキームは、数層のペンキの下に隠されているが、1990年代に大規模修復され、当時の姿に再現された。2001年に最初の連邦議会開催の100周年記念祭が行われた。2004年7月1日に世界遺産に登録された。チャールズ・ラトローブ監督官(初代総督)は、1839年にメルボルンシティを取り巻く緑地帯のひとつとして26ヘクタールのカールトン・ガーデンズ公園を計画した。バットマンヒル公園、フラッグスタッフ公園、フィッツロイガーデンズ公園、トレジャリーガーデンズ(財務省)公園、ドメイン公園である。
最初の緑地帯の設計は、エドワード・ラトローブ・ベイツマン(Edward La Trobe Bateman)が1856年に行った。その後、設計変更や追加プランが植民地政府の主任景観デザイナーや植物花卉専門家によって行われた。クレメント・ホギンソン(Clement
Hodgkinson)、ウィリアム・サングスター(William Sangster)、ニコラス・ビックフォード(Nicholas Bickford)、ジョン・ギルフォイル(John
Guilfoyle )及び建築家のジョセフ・リードであった。リードと園芸家のサングスターは、建物や計画中の公園部分、園内通路、入り口、その他の部分の最適な計画を練った。初代園芸責任者ジョン・ギルフォイルの家屋は、1891年に建設された。公園内には3つの泉が設置された。Hochgurtel
Fountainは、1880年の万博の際にJoseph Hochgurtelが作成した。他は、フレンチ泉( French Fountain)とウェストガーシュ飲用泉(Westgarth
Drinking Fountain)である。
当初の境界線のフェンスは、1928年に取り除かれ、小さな残存物とブルーストーン製の台座が残っている。REBがあるカールトンガーデンは、1800年代に流行したガーデネスク(Gardenesque)に基づいて設計されている。独特の木々を配置し、幾何学的にデザインされた花壇、左右対称の全体デザイン、基軸的な外観と焦点などである。
素晴らしい木々を配置した通路、独特の木々が連なる芝、専属園芸家のロッジ、真ん中に小島を配置したふたつの池、低木林、南側の散歩道には年間を通して花々を配置した。
cruciform 十字形
nave 身廊、ネーブ、一般信者席
transept 翼廊、naveに対して直角をなし左右の翼
fanlight 扇形明り取り窓が
flank
trusses 三角形を基本単位としてその集合体で構成する構造形式。結構ともいう。
scheme:配置、配列、
perimeter fence 境界線のフェンス
specimen trees,
parterre幾何学的にデザインされた花壇
shrubbery: 低木林
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