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2024年5月26日(日)(responsive版)
キャロライン・ホッグソン
Caroline Hodgson
リトルロンズデール通り
Little Lonsdale Street
メルボルン Melbourne
この場所の地図(Googole Map)

キャロライン・ホッグソン(Caroline Hodgson:1851−1908 7月11日)、またの名をマダム・ブラッセルズ(Madame Brussels)は、メルボルンでは名高い娼館(brothel)の経営者(proprietor)で地元に住んでいた。リトルロン地区には多数の娼館があったがマダム・ブラッセルズは最も有名な経営者であった。娼館の成功によって最も裕福なビジネスウーマンとなった。

撮影データ iPhone XR
絞りF2.4 1/148秒 ISO感度 32
2024年1月20日13;24 板屋雅博 撮影

 メルボルンのリトルロン(Little Lon)地区である地元に1800年代後半に在住していた。キャロラインは、ドイツ・ポツダムの出身である。キャロラインは、1871年2月18日にロンドンでStudholme George Hodgsonと結婚した。同年6月24日にふたりは船でメルボルンへ移民した。翌72年にStudholmeは、警官になり地方のMansfieldで勤務した。当時25歳の新妻キャロラインは、ひとりメルボルンに残った。キャロラインは、アパートの経営を始めたが直ぐにより利益を上げられる方法に気が付いた。2年で十分な資金が出来てロンズデール通りに建物を購入して、娼館を始めている。1874年頃にはキャロラインは、マダム・ブラッセルズの名前でいくつかの娼館を経営していた。1907年まで成功裏にこの事業を続けた。夫のStudholmeが1892年に結核に罹患した際には、キャロラインが所有するセントキルダ、ビーコンフィールド通り(Beaconsfield Parade, St Kilda)の屋敷(Gnarwin)で看病するように整えた。Studholmeは1893年に他界し、銘板にはhis loving wife Caroline Hodgsonと添えた。

 1895年にキャロラインは、15歳若いドイツ人のエンジニアJacob Pohlと再婚した。夫婦は、1896年にドイツの親戚を訪問する旅行に出たが、ポールは突然に南アフリカへ行って失踪した。1998年に調停が出来たが、1907年に離婚が認められた。キャロラインは、翌年ロンズデール通りの自宅で肥満と慢性膵炎で他界した。セントキルダ墓地にStudholmeの側に埋葬された。養子のIreneがいる。キャロラインが1874年に娼館の経営を始めたいきさつははっきりしない。歴史家のLeanne Robinsonは、当時の女性が植民地で経済的に不安定な状態で生き抜いていく方法は限られていたと指摘する。家政婦の仕事は収入が低く、女性が出来る職業は服飾洋裁(dressmaking)、教師、看護婦などに限られた。リトルロン地区でのキャロラインの娼館が栄えたのは、上流の友人からの財政的援助があったとメルボルンの「真実(Truth)」紙は推定している。同紙は、長くキャロライン追及のキャンペーンを張っている。ジャーナリストのJustin McCarthyも上流階級向けの性産業は、女性の財政的、社会的な自立を提供したと指摘している。

 キャロラインの第一の娼館は、ロンズデール通り32ー34番地にあり議事堂から近い場所であった。娼館は、豪華な家具や調度が設えてあり、ビクトリア政府のビジネスマン、上院議員、政治家、裁判官や弁護士などが政財界のトップが集うジェントルマンクラブであった。1906年に娼館「マダムブラッセルズ」は政治の駆け引きの場所となり、閉鎖を余儀なくされた。警察犯罪法が成立し、政府によって売春が抑えられたことが背景にあった。マダム・ブラッセルズは数多くの訴追、裁判や警察沙汰があったが、顧客によって守られていると云われていた。当時のメルボルンは厳格なキリスト教の教えや禁酒運動があった半面、飲酒、麻薬、売春などが横行するダブルスタンダードがあり、マダム・ブラッセルズはうまくマネージして大きな利益を上げたビジネスウーマンであった。

 娼館は、1860年代からリトルロン地区に存在し、1890年代には数多くの娼館があった。1898年に警察の調べではロンズデール通りに17店舗、大通りのエキジビジョン通りには6店舗の娼館が店を構えていた。1888年のカールトンガーデンで開国100年記念万国博覧会が行われた際に取り除く努力はしたにも関わらずであった。フラッシュハウス(flash houses)と呼ばれる豪華な娼館はスプリング通りに近いロンズデール通りの北側に集中していた。最も豪華で最高級とされたのが、マダム・ブラッセルズ経営の娼館であった。少し劣る娼館がロンズデール通りからリトルバーク通りの裏道にひそんでいた。普通のメルボルンっ子はリトルロン近くには近づかなかった。薄暗かりに赤いガスランプの怪しい光がともっていた。大通りには1890年代から明るい電気式灯火が灯っていたのと対照的であった。娼館で有名であったステファン通り(Stephen Street)は、住民からの苦情もあり、1888年の万博の際に、エキジビジョン通り(Exhibition Street)に改名された。

 1880年代には、キャロラインはメルボルンでは最も著名な女性ビジネスウーマンのひとりであった。ロンズデール通り32番地の邸宅兼娼館に住んでいた。歴史家Philip Bentleyは高級、豪華な家具が娼館で、扇情的な紳士クラブであると評している。
マダム・ブラッセルズの顧客には著名な政治家のデービッド・ガウンソン(David Gaunson)がいた。時には法的な代理人として活動した。メルボルン市長のサーサミュエル・ジロット(Sir Samuel Gillott)は不動産の保証人となった。マダムブラッセルズは多くの道徳主義者から訴追を受けたが、その都度、熱心な支援者から庇護を受けてきた。キャロラインは法をうまく利用して多大な利潤を上げる方法を十分に判っていたと思われる。

 マダムブラッセルズの成功は世間の注目を集めた。売春は非合法ではなかったが、反道徳的であるとして、モラル改革派からは深い怒りを買っていた。1880年代、社会浄化運動が強化され、政府は売春を抑制し、娼館を閉鎖する圧力の下に置かれた。バプティスト教会の牧師や モラル活動家Henry Varleyなどは、1889年のロイヤル劇場(Theatre Royal)での公開討論で、メルボルンと植民地のスキャンダルであり、下劣な悪徳であると非難した。マダムブラッセルズの娼館は、30年間に渡り、放置されてきたと非難した。ウィークリータイムズ紙は、詳細に報じている。
Weekly Times, 15 June 1889

30年間、最も下劣な不道徳の為に少女や女性を売買し、政府、裁判所、警察、市民はこれを放置し、悪名高い女性は、若い女性の体と心を不正に売買して巨額の蓄財をした。



 ビクトリア時代は、女性の立場が微妙で男性とは平等とは見なされていなかった。女性は、知性や耐力的に劣っており、守るべき対象であると考えられていた。一方、女性は男性よりもモラル特に性欲に関しては抑制的で優れていると考えられていた。マダム・ブラッセルズが若い女性を娼婦として雇用し、非道徳的なビジネスが成功し、長期間に渡って繁栄したことは、一般の男性にとっては嫉妬の対象でもあった。富裕層の男性がしばしば訪問した。最初の移民船団が豪州を訪れた際、売春は豪州の最初の職業であった。収監、暴力、病気などにも関わらず売春は若い女性にとって最も金になる職業であった。店員、工員、ホテル従業員などの職は低賃金の職であった。




 マダム・ブラッセルズ Madame Brussels
キャロライン・ホッグソン Caroline Hodgson


キャロライン・ホッグソンが住んでいたのはロンズデール通り32番地であり、近隣であった。
42 - 44 Lonsdale Street



 カッセルデンプレイス17番地は、かつても娼館のひとつでヨーコと名乗る遊女が経営していた。
YokoとはYokohamaから取った芸名で本名はTiecome Ah Chung(鉄健阿忠)という中国人であった。

かつてYokoの自宅兼娼館は、リトルロン地区唯一の現存する建物であり、バーLittle Lonが入居している。
バーでは当時の様子を詳しく知る事が出来る。



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