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2018年4月22日(日)
サンドリッジ海岸 Sandrigde Beach
ポートメルボルン Port Melbourne
メルボルン Melbourne 
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1830年代から40年代の移民初期の頃、ヤラ川の河口底に積み重なった砂の層は、満ち潮の時でも2.7m、引き潮の時は1.5mの高さしかなく、小型船のみがヤラ川を入ることが出来た。大型船は、サンドリッジ海岸か、ウィリアムズタウンの沖にアンカーを打って、旅客と荷物は平底の小型ボートや荷揚げ船で陸揚げされた。

撮影データ Canon EOS 5D 絞り優先優先AE 評価測光 絞り6.3 1/500秒 ISO感度100 露出補正 オート JPG レンズ EF 70-200mm f/2.8L /USM 撮影:板屋雅博 撮影2018年1月18日 10:31

eMelbourne

 ウィリアムズタウンで着岸した旅客はメルボルンまで馬や牛車でメルボルンまで14kmの道のりを行った。サンドリッジからは、わずか3kmであり、サウスバンクまで徒歩で行き、ヤラ川は渡し船で渡った。沖に停泊中の帆船からウィリアムズタウン海岸やサンドリッジ海岸までの荷物のはしけ運賃は平常な状態で1トンあたり30シリングから50シリングであった、加えて輸入税を支払った。追加料金を支払い小型のはしけ船などに積み替えてヤラ川を遡る方法もあった。いずれの方法にしても、不便でコストがかかるので、メルボルンの商工会ではヤラ川の改善策、直通道路、鉄道などいろんな方法を検討した。ヤラ川の最初の改善策は、木製のさ水路標(みおつくし)を立てて航海水路を明確にすることであった。大型船の入港を可能にするために、ヤラ川の浚渫を行うべきであるとした1848年のガラードとマントン(Garrard and Manton)レポートを受けてNSW植民地政府は、ヤラ川とコリオ湾の改善に2000ポンドを支出した。
  
 更に800ポンドを支出して水路の浚渫を行った。1859年には、水深は3mに達してメルボルンへ中型船の入港が可能になった。
1854年にホブソン湾鉄道会社(Hobson's Bay Railway Company)の鉄道がポートメルボルンからシティへと開通して、輸送コストは大幅に下がった。

上流側(シティ岸壁)と湾の改善には、水路の改善が欠かせなかった。1839年にメルボルンシティ岸壁はノースバンクのみであり、サウスバンクは岸壁としては使用されていなかった。岸壁使用料は、1839年から徴収された。1841年にはメルボルン税関のすぐ前に小さな木製岸壁が設置され、後に開発が進みクイーンズ岸壁となった。



 初期の港の開発には政府と民間の力が大きかった。1842年2月にジョージ・ワード・コール大佐(Captain George Ward Cole)は、民間会社として岸壁建設の許可を得た。1840年代までにコールズ岸壁が完成し、商品荷入れ小屋倉庫、保税倉庫、税関職員の宿泊所などが建設された。1843年にはジェームズ・ドブソン(James Dobson)にも岸壁建設の許可が下りた。岸壁使用権は、ジョセフ・ラレー(Joseph Raleigh)に引き継がれた。ジョセフ・ラレーの岸壁と倉庫は、コールの施設の下流側に建てられた。コールとドブソンの岸壁は、NSWとの分離後に新く組織されたビクトリア植民地政府が購入した。その後も岸壁の建設クイーン橋とスペンサー通りとの間で進められた。1853年から54年には、オーストラリアンワーフ岸壁がスペンサー通りの下流側に600mの長さで建設された。




一方でホブソン湾の施設は、原始的なままであった。ウィリアムズタウンには石づくりの桟橋が1839−39年に囚人労働力によって建設された。ウィブラハム・リアルデットは、捕鯨ボートを借りうけて旅客や荷物の海岸までの荷降ろしを行った。更に1841年にサンドリッジ海岸に小さな桟橋を作った。1850年代に入りゴールドラッシュが始まり港湾施設の不足が露呈し始めた。大きなクリッパー船は沖に何隻も停泊していた。旅客や貨物の荷降ろし費用の増大は、重大な問題となっていた。ビジネス界は港湾局の下で恒久的な港湾施設の拡充と大型船の入港を可能にするヤラ川の航路の改善を要望した。1859年、60年、72年、75年と4回のレポートが提出され、メルボルン港湾局はやっと1877年に作られた。




 

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