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2024年2月29日(木) resposibe版
コーディアル飲料工場 
cordial factory Fitzroy
8 - 12 SPRING STREET AND 14-16 ARGYLE STREET FITZROY, YARRA CITY
フィツロイ Fitzroy
メルボルン Melbourne
この場所の地図 Google Map

コーディアル飲料工場は、1882年に施主ロバートハリソン(Robert Harrison)によって建設された。コーディアル飲料や炭酸飲料各種(aerated waters)を1950年代まで製造した。

撮影データ 撮影データ iPhone 14
絞りF2.4 1/552秒 ISO感度 32 
2024年1月16日13;46 板屋雅博 撮影


 コーディアルは、季節のハーブやフルーツを生のままシロップに漬け込んだ濃縮ドリンク。 英国や豪州の伝統的なドリンクで、身体にとっても良いとされている。 発祥時には、嗜好品というより「医薬品」として利用されていた。豪州の暖かい気候と禁酒運動(temperance movement)の為、1800年代後半にソフトドリンクの人気が高まった。1880年(明治13年)のアーガス紙によると、ビクトリアではコーディアル飲料やジンジャービール(ginger bee)、炭酸飲料各種の消費量は莫大なものであった。伝統的なジンジャービールは、甘くて炭酸の入った、通常はノンアルコール飲料。歴史的には、生姜のスパイス、酵母、砂糖を自然発酵させて製造された。

ロバートハリソンは、1866年7月にビクトリアに到着した。8月にはフィッツロイに小さなジンジャービールの工場を作った。ジンジャービールのみを製造し、馬1匹、馬車1台、従業員1名であった。勤勉と根気強さで少しづつ成長した。会社は従業員に対して当時画期的であったボーナスを支払った。Sands & McDougall名鑑には ロバートハリソン202 Nicholson St, Fitzroy(ジョンストン通りとの交差点の近く)と記されている。1872年から78年までハリソンのジンジャービールとコーディアル飲料工場は、ジョンストン通り1番地と記されている。

 1878年から80年はニコルソン通り196番地となっている。1889ー90年の夏の猛暑により住民がソフトドリングを買い求め、店舗やホテルではソフトドリングやコーディアル飲料の供給が底をついた。1893年にビクトリアでは167のソフトドリング飲料会社があり、主に小規模の工場が地域に供給した。ロバートハリソンは、1860年代にニコルソン通り(Nicholson Street)202番地でコーディアル飲料の製造を始め、1880年にフィッツロイ、スプリング通り(Spring St)10番地に移転した。この場所では、 William Mercerが1872年よりコーディアル飲料工場を製造していた。

 ウィリアムマーサー(William Mercer)は、コーディアル飲料工場をフィッツロイ・スプリング通り10番地で1872年から運営していた。1880年にロバートハリソンは、この場所に移転してきた。ハリソンは、板張りの工場を作り、40ポンドと評価された。当初は板張り工場(weatherboard factory)からスタートして現在の工場の一部である煉瓦工場は1882年に完成し、1890年代に拡張され、現在の3つの切妻屋根工場レイアウト(three gable arrangemen)が完成した。1884年に拡張し、土地の値段は130ポンドと評価された。

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 コーディアル飲料工場は工場の対面に馬屋を所有しており、メルボルン中に馬と馬車でメルボルン中の店舗にコーディアル飲料を配達した。ハリソンのコーディアル飲料工場は40名から50名の作業員を雇用し、1888年の夏季需要用に12台のワゴン馬車と1台の大型荷馬車(lorry)を保有し、ハリソンのビジネスの成長によって市民の夏季に対する抵抗力に貢献した。1898年にはハリソンのコーディアル飲料会社は、ビクトリアの167の清涼飲料会社の3本指に入ると云われた。大きな規模の会社であった。1890年代、炭酸水とコーディアル飲料は産業として成立しており、大型会社や小さな工場などがあった。


 ハリソンは1898年に他界し、会社の財政顧問でハリソンと17年間働いたVance GreggとCharles Chapmanが会社を引き継いだ。彼らは会社名をR. Harrison Pty Ltdとしてビジネスを継続した。Chapmanが離れた後は、Vance Greggが事業を1933年まで経営した。1948年にシロップ室、ボトリング室、ボイラー室を火元とする火事があり工場に甚大な被害が発生した。ロバートハリソン資産管理会社(the proprietors of R. Harrison Pty Ltd)は、コーディアル飲料工場の全ての資産や自動車をオークションで売却して、ビジネス界から引退した。工場の閉鎖によってロバートハリソンの清涼飲料会社の70年を超える操業の歴史は途絶えた。この場所での約80年のコーディアル飲料と炭酸飲料の歴史も途絶えた。その後は、Baron & Son社の羊毛洗浄会社(Baron & Son Wool Waste Merchants)が入居した。



 コーディアル飲料工場は、スプリング通りに面した3つの二階建て切妻屋根の建物で構成される。中央部に荷物の積み下ろし作業場があり、後方部に煉瓦製の煙突がある。二色煉瓦の建物は、ダークブラウンの壁を持ち、窓の周りと下部水平方向への仕切り段にはクリーム色の煉瓦を使っている。ビジネス名であるR. Harrison Cordial & Aerated Waters はアーガイル通り側の最上段に薄く見られる。建物はふたつの事務所と鋳物工場が入居している。内部には1948年の火災の被害が残っている。天井部分には木製の三角トラス構造が当初のまま残っている。開口部には当初のホイストクレーン用である。


 1888年のビクトリアとメトロポリスという雑誌ではスプリング通りに面する切妻屋根の煉瓦工場と二重式切妻屋根の構造が並列してスプリング通りに面していると書かれている。現在スプリング通りとハリソン通り(Harrisons Place)の交差点にあった板張り小屋の中に事務所は、あった。1889年にはスプリング通り2−6番地にテラスハウスを建設した。
1880年代の広告には「名高い飲料です。その純粋さで知られています。ハリソンズで生産され、Hopetta(hop beer)、ジャマイカブランドのジンジャー、ジンジャービール、レモネード、炭酸サルサパリラ(aerated sarsaparilla)などなど。ルートビア

 1898年には豪州全体で1000工場にまで増加した。人口4000名に1工場であり、英国の2倍上であった。豪州コーディアル飲料メーカー、醸造ガゼット(Australian Cordial Maker and Brewer Gazett)1898年6月号は英国の工場はより洗練されているが、豪州は産業としてより重要で確立されていると記されている。商業ガゼット紙は、 R. Harrison, P.G. Dixon & Co and E. Rowlands をビクトリアでは重要会社としている。ビクトリア炭酸水製造業者商業保護協会(Aerated Water Manufacturer's Trade Protection Association of Victoria.)の委員としている。

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