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2021年11月3日(水) resposibe版
メルボルンロイヤル植物園と英国の野望
キャプテンクック船長生家 Cook's House
フィッツロイガーデン Fitzroy Gardens
メルボルン Melbourne
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1768年5月25日、英国海軍本部と英国科学協会(ロイヤル・ソサエティ)は、ジェームズ・クック船長に南太平洋への航海を命じた。

撮影データ Canon EOS 5D MarkⅡ シャッタースピード優先AE 評価測光 1/1250 絞り4.5 ISO感度 100 オート 露出補正 -2/3 JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L USM 2017年1月18日17:54 板屋雅博撮影


 地球上の離れた2点から金星を同時刻に観測し、天文緯度の差から地球と金星の距離を測るという壮大な天体観測計画であった。表面上の目的は、金星の天文学観測であったが、真の目的は伝説の大陸、テラオーストラリスの探査であった。クック船長は、タヒチで天体観測を行った後、帆船エンデバー号で未知の太平洋を南西へ航海し、1770年4月19日にオーストラリア南西海岸(現在のシドニー)に到達した。豪州東海岸に到達した記録が残された西欧人の最初の調査となった。クック船長はシドニーで上陸した最初の場所をエンデバー号の探検隊幹部で植物学者のジョセフ・バンクスとダニエル・ソランダ博士が発見した貴重な植物種類にちなんで植物学湾(ボタニーベイ)と命名した。

英国ではキューガーデン・ロイヤル植物園(世界遺産)が英国王室の庭園として1759年に設立され、ジョージ三世国王は、ジョセフ・バンクス男爵やプラントハンターに命じて、世界中から植物を集めさせ品種改良を行った。英国の他の植物園や英国花卉教会、英国科学協会と世界中から組織的に植物を収集していた。

 英国は世界中に有する英国植民地のプランテーションに生育条件が見合う植物種子、種苗を送り込んで、大量生産を図った。アマゾンの天然ゴムをマレー半島へ、中国の茶をインドのダージリン地方やスリランカへ、マラリアの特効薬キニーネ(キナの樹皮)をペルーからインドへなどであった。古くはコーヒーやチョコレート、タバコなども西欧貴族社会を魅了した。
当時の植物は今日の石油や天然ガスと同様の国際戦略物質であった。


 1836年1月にシドニーに到達したチャールズ・ダーウィンの世界航海も単なる科学や探検も含めて英国の国策の一環であった。
メルボルン・ロイヤル植物園は、ビクトリア植民地チャールズ・ラトローブ初代総督が1846年にヤラ川のそば南側に38ヘクタールの植物園用地を確保したことに始まる。1816年設立の豪州の最も早く設立された科学機関の中であるシドニーロイヤル植物園に遅れること30年であった。

 シドニーロイヤル植物園世界で最も古く歴史的に重要な植物園のひとつであり、ロンドンのキュー植物園で長く勤務したアラン・カニンガムとリチャード兄弟がシドニー植物園の運営に関与したが、カニンガム兄弟は、キュー植物園でジョセフ・バンクスの薫陶を受けた人物であった。



 メルボルン植物園の最初の園長フェルディナンド・ミューラーは、シドニー植物園やキュー植物園と密接なコンタクトを持って運営を行った。メルボルン植物園は、ヤラ川河畔に立地する人気観光地であるが、英国の世界制覇の夢の一翼を担う存在であり、クック船長やダーウィンの時代を偲ぶことが出来る。


 
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