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2018年1月14日(日)
エンタープライズワーフ Enterprize Wharf
エンタープライズ公園 Enterprize Park
メルボルン Melbournex
この場所の地図

メルボルン発祥の地はエンタープラズ桟橋である。1835年8月30日にジョン・フォークナーを筆頭とするタスマニアからの移民団がこの地に到達した。8月30日はメルボルンデーとして市創立の日とされて催しが開かれている。

撮影データ Canon EOS 5DMarkU 絞り優先AE 評価測光 絞りF10.0 1/400秒 ISO感度 100 露出補正-2/3 太陽光 JPG レンズ EF 24−70mm f/2.8L USM 2017年1月21日17:11 板屋雅博 撮影

 1835年8月30日に小さな帆船がヤラ川を遡ってこの辺りまでやってきた。当時のビクトリア(NSW植民地ポートフィリップ地区)には、まだヨーロッパ人の定住者はひとりもいない時代。ヤラ川は川幅も狭く、回りは草に覆われた湿地帯であった。 この帆船は、タスマニアのジョージタウンから来たビクトリア最初の定住者、ロンセストンのジョン・パスコ・フォークナー(John Pascoe Fawkner)とその仲間たちで、。帆船の名前は、エンタープライズ号(Enterprize)と云った。


 
モニュメント
Bruce Armstrong, Georrrey Bartlett共作
『Constellation』人々の群れ。
エンタープライズ号が到着した当時のアボリジニを象徴しています。5つのモニュメントは、男性、女性、ライオン、鳥、竜を表しています。


 エリザベス桟橋のすぐ上流にあるクイーンズ橋の場所には、メルボルンの初期のころザフォールズ(the Falls)という滝があった。ザフォールズから上流は真水であり、メルボルンの最初の植民は、この真水があったから始まった。サウスバンクとノースバンクを結ぶヤラ川にかかる天然の橋によって、上流側が真水、下流側が海水と交わる汽水であった。ザフォールズはヤラ川の上に1mほど突き出た玄武岩質の岩棚でヤラ川を対岸まで横断していた。海からの上潮も届からない1mほどの高さがあった。現在でも橋のたもとの川の中にいくつかの当初の岩を見ることが出来る。
現在は、この場所は、エンタープライズ公園であり、エンタープライズ号が停泊した場所は、エンタープライズ桟橋として整備してある。桟橋界隈は、メルボルンの最初の港町となった。。


 初めてメルボルン湾を本格的に調査したのは、ニューサウスウェールズ植民地測量主任であったチャールズグリム(Charles Grimes)船長である。
チャールズグリム船長は、1803年1月にメルボルン湾に入り、1803年2月2日にヤラ川の河口を発見している。当時のヤラ川は、自然のままの小さな川で、周辺は芦などに覆われた湿地帯であった。
2月3日には自らを隊長とする数名の調査体を編成し、小型手漕ぎボートで、ヤラ川をさかのぼり、デイツフォールズ滝(Dights Falls)まで到達している。
尚、Dightsは、1839年にこの近くで、メルボルンで最初の水力粉ひき小屋を建てたJohn Dightに由来している。グリム船長の一向は、ザフォールズを超えてデイツフォールズ滝まで到達している。

 エンタープライズ号は、ザフォールズに阻まれて停止し、ザフォールズの上流が真水であることを確認してこの場所に錨を降ろし、すぐに定住を開始している。

NGV Georrrey Bartlett

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