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ムーンバ パレード Moomba Parade 

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2007年3月12日(月) (今日の一枚へ戻る
ムーンバ パレード Moomba Waterfest Parade クイーンビクトリア公園 Queen Victoria Gardens
Melway 2F−H8 メルボルン Melbourne
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(クリックで拡大します。)

天気予報では、ほぼ曇りとなっていました。パレードは、午前11時に始まりましたが、その時点では厚い雲が覆ってました。でも風が強く、11時半頃から青空が見えてきました。パレードが終わる12時過ぎに、やっと晴れてきました。最高気温20度、最低11度でしたが、湿度が55%と気持ち良い一日です。
おとぎの国のアリスの服装の子供たち。アリス、ハートの女王、ラビット
何の服装かと尋ねたところ、真ん中の女の子が教えてくれました。

 パレードの一番人気のスペインチーム。赤の衣装に黒の帽子とショールの華やかな衣装とフラメンコの踊りで、抜群の目立ち方でした。パレード終了後の、写真撮影タイムでも、一番人気でした。

スペインは、15世紀、16世紀にアメリカや中南米の発見、及び侵略、経営をしていましたが、太平洋への進出はほとんどしていません。
豪州への移民も1851年のゴールドラッシュでも数百人の移民があっただけです。これは、スペイン王国が安定していたことと、中南米を植民地していたために、豪州まで移民する必要がなかったためです。

アートセンターをバックにフラメンコを踊るスペインチーム

1936年には、ピカソのゲルニカやヘミングウェイの市民軍への参戦で有名なスペイン内乱が勃発しました。多くの難民が発生しましたが、当時、豪州では、移民制限法が成立しており、スペインからの移民は、ほとんど増加しませんでした。第二次大戦後には、数千人の難民が移民しています。その後、スペインの発展と共に移民数は、減っています。2001年の時点で、スペイン生まれのメルボルンっ子は、3000人以下です。

メルボルン スペイン中南米協会公式Web

エルサルバドール(El Salvador)チーム
こちらのチームも白い色を基調に青を浮き立たせており、華やかなチームです。お嬢さんたちは、エルサルバドール系メルボルンっ子らしい中米系の顔立ちをしています。

エルサルバドールは、1524年にスペインの探検家により侵略され、1546年には、スペインの植民地となりました。1776年のアメリカ合衆国の成立の余波が中南米にも及び、エルサルバドールは、他の中米諸国と共に1821年にメキシコ帝国の一部としてスペインより独立しました。1823年には、中米の5カ国により中央アメリカ国が成立しています。この国家は、1838年に解体し、その年に、エルサルバドールは、共和国として独立しています。メルボルンの成立の3年後です。

子供たちも、今日のパレードの主役です。たくさんの地域チームが参加しています。日本の神輿、太鼓チームも参加していました。

エルサルバドールは、国が長い間、混乱していたにも関わらず、豪州への移民は、多くはありません。。現在、豪州全体で16000人(そのうちエルサルバドール生まれは、10,000人)、ビクトリア州では5,000人(同3,000人)です。本国では知的階級が多いにも関わらず、ビクトリア州では多くは労働者階級です。スペイン語が主言語であり、英語に堪能でないことが大きな原因です。エルサルバドール系の95%が自宅では、母国語で生活しています。

ビクトリア州では、100カ国以上の出身者が生活しています。雑多な民族を代表し、また共に住んでいることを思い出せるのが、このムーンバ(Moonba)のお祭りなのです。メルボルンのもうひとつの重要なお祭りであるアンザックデー(Anzac Day)が豪州の母国である英国への忠誠を誓う主に英国連邦(Commonwealth)のお祭りであるのとは、決定的に性格が違います。そのどちらもがメルボルンなのです。

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