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メルボルン歴史散歩 No 15 中央郵便局 GPO 1841年

2009年5月9日

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メルボルン歴史散歩の第15回は、中央郵便局 GPO 1841年の話だ。

1835年にメルボルンに定住が始まると直ぐに人々は手紙の交換を始めている。 
最初の頃のほとんどの移民は、タスマニアのランセストンや、ホバートからやってきた。
続いてシドニーからも役人などが転勤してきた。
もちろん英国本国からの船も頻繁に行き来している。
当然、郵便物も頻繁に交換されていた。

本格的な郵便局が、バーク通りとエリザベス通りの交差点の現在のGPOビルの場所に建てられたのは、1841年のことだ。

1841年のメルボルンの出来事。

+メルボルン地区最初の検死官が任命された。
+メルボルンで最初の住民から任命された裁判官が指名された。給料は、年収で、1500ポンド。
+3月の統計で、ポートフィリップ地区(現ビクトリア州)の人口が、11、738名に達した。 男性8274名、女性3464名。
 メルボルンの人口は、4,479名、ジーロンは、454名。
+インディペンデント教会で、子供たちのための1日学校が始まった。(恒久的な学校はまだなかったと思われる。)
+最高裁判所が、キング通りとバーク通りの交差点の南西コーナーで、小さなレンガ作りの建物で建設された。
+メルボルン町(Town of Melbourne)が組織された。
メルボルンは、4つの区に分割された。 
北西のバーク区(Bourke Ward)、北東のジップス区(Gipps Ward)、南東のラトローブ区(La Trobe Ward)、南西のロンズデール区(Lonsdale Ward)であった。
+メルボルン最初の大不況が発生した。
メルボルンで植民地政府によって分割された土地の購入をめぐって、投機が発生した。
購入のために英国で高金利の金を借りたため、その金を返済することができずに倒産が発生したためである。
+シドニーで、豪州最初のガスライトが灯った。
+12月の統計で、ポートフィリップ地区の人口が20,416名に達した。男性14,391名、女性6,025名。1年で2倍の人口に増加している。


(正面は、バーク通り。)

1800年代には、海外への通信は、帆船による郵便が唯一の通信手段であった。
当時の帆船は、カティーサーク(Cutty Sark)に代表される高速帆船タイプであった。
それでも英国から世界の反対側にあるオーストラリアへは4ヶ月から半年がかかっていた。
往復の書簡で半年から1年の長い時間がかかった。
また過酷な船旅であり、メルボルンを直前にて多くの帆船がグレートオーシャンロードなどで難破、沈没していった。
メルボルンの人々は英国本国からの郵便船(貨物船)がやってくるのを心待ちにしていた。


(手前側は、エリザベス通り)

郵便船の到着をフラッグスタッフ公園の旗さおで、毎日、確認するのがメルボルン市民の日課であった。 
歴史散歩第13回 フラッグスタッフガーデン公園 参照
そうやって待ちに待った本国からの郵便物を受け取るのがこの場所GPOだった。
当時のGPO局長の立場は、市長に次ぐくらいの高い地位だ。
最初の郵便局が設置されたのはメルボルンの定住が始まってから2年後の1837年に、コリンズ通りに簡単な小屋として建てられた。
1838年には、フリンダース通りへ、1839年にはリトルコリンズ通りへと移動した。
メルボルンの開設後、3年目である1838年に最初の郵便局長が任命されている。



1840年には、移民の増加と共に、郵便物も飛躍的に増加し、本格的な郵便局の設置が必要に迫られた。
1841年にこのバーク通りとエリザベス通りの交差点に最初の恒久的な郵便局が建設せれた。
レンガつくりで板屋根の8部屋からなる2階建で、ベランダは、バーク通りに面していて、軒下は商売をする人たちの場所であった。

しかしこの建物は、設計がひどく、空気の流れが悪く夏は、ひどい暑さに悩まされた。
また水はけが悪く、もともと川であったエリザベス通りはメルボルン市内では最も低地にあり、雨が降り続くと川となって水が流れたので、
郵便局も水浸しとなって業務に大きな支障が出た。
伝染病やねずみを介したペストの発生の危険性さえあった。



1841年にはメルボルンで最初の郵便局が開設され、英国本国との本格的な郵便業務を開始した。

1851年のゴールドラッシュにより移民が激増し、新しい中央郵便局の設置がビクトリア植民地政府により決定された。

1857年にビルの設計は、公募され、共同デザインをしたClouch とWilsonが1等賞を獲得した。
しかし中央郵便局としての機能上の必要性から、2等を取ったArthur E. Johnsonに決定された。

1859年に礎石が置かれ、建設が開始された。
しかし建設予測の甘さ、建設用資材特に外壁用の砂岩の入手難などから工事は大幅に遅れた。
新しい中央郵便局の建設には、140,000ポンドの資金がかかった。
新しいGPOビルは、建築設計が完成してから10年後の1867年7月1日に完成した
ビクトリア州がNSW州から分離した記念日を選んでオープニングセレモニーが行われた。



建築年:1859年−1907年   
場所:バーク通りとエリザベス通りの交差点
地図: Google Map
設計:A.E.Johnson
建築時代:ビクトリアン (Victorian)
建築様式:第二帝国様式  Second Empire
登録:ビクトリア州遺産 Victorian Heritage Register
VHR Number H0903
File Number 600695



1859年から1867年にかけて拡張工事が行われた。1887年には時計台を含む3階部分が増築された。
その時からメルボルン中心部のランドマークとなった。
更にデザイン変更が1919年までかけて実施され、1階部分が一般に開放された。

1870年代から1880年代にメルボルンの人口は増加を続けまた富の蓄積も進んだ。
いわゆるMarvellous Melbourneの時代を迎えた。
1885年のメルボルン市当局の決定を基に、現在の最上階から屋上部分であるGPOの3階部分の増設を1889年に実施した。

1887年には3階部分、屋根の部分など今日の概観の大半が完成した。
中央部の時計台は、1890年に完成した。
内部の大ホールは、1907年と1919年に新装された。

北側の建物も1907年には建設を予定されていたが、結局完成していない。



1901年に豪州統一国家(Commonwealth of Australia)が成立し、メルボルンが豪州の最初の首都になった。
その頃から、メルボルンの人口が急増し、郵便の量が拡大した。
GPOだけで処理することが出来なくなり、1917年に新しい郵便局がスペンサー通りに建設された。
そして新しい郵便局をスペンサー通りGPO(Spencer Street GPO)と名づけられた。
旧GPOは、エリザベス通り郵便局(Elizabeth Street Post Office)となり、GPO(中央郵便局)の称号を失った。
しかし旧GPOは、約50年後の1964年に再びGPOの名称を回復し、スペンサー通り郵便局は、Melbourne Mail Exchangeと改名された。

1992年にGPOビルは、郵便局としての機能は停止になり、豪州郵便局は新しいビルに転居した。
このころ、GPOビルには立替てて、巨大なホテルやショッピングセンターにすると計画があった。
更に2001年に火災により内部が完全に崩壊した。
しかし関係者の努力により、その後、2004年に全面改装が行われ、今日のショッピングセンターに生まれ変わった。

***********メルボルンの問題集*********

今回の質問。
1)オーストラリアで最も大きなスタジアムは、どこか?
@メルボルン クリケット グラウンド MCG
Aシドニー クリケット グラウンド SCG
Bメルボルン エティハッドドーム (旧名 テルストラドーム)

2)収容人員は、どれだけあるか?
@15万人
A
Bゴールドコースト
Cパース

前回の質問の回答。
1) オーストラリアンフットボールの発祥の地はどこか? @メルボルン

2) オーストラリアンフットボールのチームの数は? C16チーム

3)その中で、ビクトリア州にベースを置くチーム数は? C10チーム

参考文献
オーストラリア伝記集(Australian Dictionary of Biography) published by the Australian National University
Flagstaff Gardens   Wikipedia  City of Melbourne  City of Melbourne(州遺産登録)

メルボルンの歴史 Wikipedia  メルボルンの初期の歴史 HISTORICAL TIMELINE

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