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スワンストン通りとエリザベス通りの間

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2006年11月13日(月)18時00分へ

真冬に逆戻りのメルボルン
コリンズ通り Collins Street
スワンストン通り(Swanston Street)とエリザベス通り(Elizabeth Street)の間
Melway 1B−M7

今朝は、10度以下の気温でした。かなり強い横殴りの雨が降り、電車は大幅に遅れていました。午後になっても稲光に雷、雨と断続的に続き夕方まで降り続きました。
その結果、真冬並の寒さとなってしまいました。午後5時過ぎくらいからは、天気は回復しましたが、気温は昼間の最高でも18℃ほどと低いままでした。夕方は13度ほどでしょう。今朝のラジオの天気予報では、山間部では雪が降るということでした。

昨日までの画像
↓この下に追加画像があります。

エリザベス通りから西方面

コリンズ通りを行く人も本格的なオーバーコートです。
コリンズ通りのスワンストンからエリザベスにかけては、高級ブランドのお店や一流ホテルなどが並んでいます。普段はウィンドウショッピングをしながら、のんびり歩く街角なんですが、今日はみなさん足速に通り過ぎていきます。

Novotel


左側は、『Australia on Collins

コリンズ通りとは、大英帝国海軍士官デビッド コリンズ(David Collins)に由来します。
メルボルンの湾、Port Phillipは、1802年にイギリスの探検家ジョンマレー(John Murray)によって発見されました。当時、既にシドニーは植民地化されておりNew South Wales植民地のKing総督は、コリンズ大佐に命じて1803年に400人の囚人と共にモーニントン半島の先端、ソレント(Sorrento)へ殖民を開始しました。
しかしソレントでは良質の水源が発見できずに1804年5月に撤退しました。メルボルンに本格的に殖民が始まるのは1835年のことです。

ソレントの画像

かなり青空が見えており日なたに出ると暖かいのですが、ビルの谷間では風も強く寒さが余計に感じられます。

コリンズ大佐は、ソレントを放棄した後、当時はバンディーメンズランド(Van Diemens Land)と呼ばれていたタスマニアに到着しました。タスマニアは、オランダの探検家アベル タスマン(Abel Tasman)によって1642年に発見されました。バンディーメンズランドとは当時のオランダ東インド会社の総督の名前に由来しています。長崎の出島のオランダ商館も同じ東インド会社の経営です。
コリンズ大佐は、タスマニアに渡って州都ホバート(Hobert)を建設し、植民地バンディーメンズランドの初代総督となっています。
ホバートにもコリンズ通りがあります。

The Centre Way Arcade
1912年の第一次大戦直前の建設です。
このビルの1階にはタスマニアの情報が入手できるツーリズムタスマニア(Tourism Tasmania)が入っています。

このアーケードを通り抜けるとセンタープレイス(Centre Place)横丁があります。

ここ数日の寒さでみなさん防寒具はしっかり準備できています。

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