シティ案内

セントポール大聖堂

セントポール大聖堂

メルボルン百景トップ

2006年11月23日(木)へ
17時00分
セントポール大聖堂
St Paul Cathedral
フリンダース通り(Flinders Street)とスワンストン(Swanston Street)の交差点
Melbourne
Melway 1B−N9

快晴のメルボルンです。
しかし昨日からのクールチェンジでまた気温は下がってしまいました。最高気温は晴天にも関わらず、23度くらいで肌寒い天候です。Tシャツでも良いし、長袖でも良いという気温です。明日も快晴の予報ですが、最低気温は、11度と冷えます。

昨日までの画像
↓この下に追加画像があります。

セントポール大聖堂は、アングリカン (イギリス国教会)のメルボルン教区の大本山です。メルボルンにはアングリカンがたくさんあります。これはメルボルンがイギリスの植民地であったからです。イギリス国教会は、国王ヘンリー8世の時に王の離婚問題でローマ教会と争い、1536年(日本は戦国時代)にローマ教会から独立しました。
政治的にローマ教会から分離したので、宗教上はほとんどローマ教会(Roman Catholic)に似ています。
1835年にメルボルンが建設されましたが、その際、最初のキリスト教礼拝が行われたのかこの場所です。1848年までこの場所には市場がありました。その年、St Paul's Parish Churchがここに建設されました。当時の大聖堂は、St James Old Cathedralです。1880年に建設が開始され1891年(明治24年 日清戦争の頃)に完成しました。


スワンストン通り側にひっそりと立つマシューフリンダースの銅像 Captain Matthew Flindersいつもかもめなどの鳥がとまってます。フリンダース通りに名前を残す探検家フリンダース船長ですが、彼の最大の功績は、1798年にイギリス海軍リライアンス号(Reliance)でタスマニア島の北側を回り、タスマニアがオーストラリアの一部ではなく、島であることを発見したことです。メルボルンとタスマニアの海をフリンダース船長の親友であったジョージ バス(Grorge Bass)の名前を取ってバス海峡(Bass Strait)と名付けました。フリンダース船長の名前は、フリンダース島に付けられました。1801年4月にイギリスに戻って結婚しましたが、イギリス政府は同じ年の7月に再度、英海軍Investigator号での豪州探検を命じました。もうひとつフリンダース船長の大きな功績があります。この大陸をオーストラリア(Australia)と名付けたことです。

シティスクエア(City Square)側から見る。
建設当時は、セントポール大聖堂が一番高い建物でした。イギリスの伝統的なゴシック様式と初期イギリス教会様式を取り入れた美しい教会です。ロンドンの著名な設計家のデザインなのですが、一度もメルボルンを訪れたことがなく、メルボルンの現場を指揮する教会関係者と議論が起こり大幅に遅れました。塔の部分は、1926年に建設が始められました。教会の外壁は、砂岩(Sand Stone)でシドニーから持ってきた作られています。メルボルンの多くの歴史的な建物はブルーストーン(Blue Stone)で出来ていますが、かなり違った明るい色調を与えています。

公式Web

Three Below
シティスクエア(City Square)にはいくつかのカフェがありますがこのカフェは中でもお奨めです。
しかし金曜日は別です。大混雑で中には入れません。避けた方が賢明です。

公式Web

左側は Brunetti

公式Web


このページのトップへ

inserted by FC2 system