ハマーホール(旧名メルボルン・コンサートホール)は、2466席を持つアートセンター複合センターの中で、最大の収容人員を持つ施設である。オーケストラ、近代音楽パフォーマンスなどに使用される。1982年にオープンし、ハマーホールと名前を変更した。第39代ビクトリア州首相サールパート・ハマー(Sir
Rupert Hamer)に由来する。
設計:建築家ロイ・グラウンド事務所
Roy Grounds and Company
その他デザイン:John Truscott
建設開始:1973年
完成:1982年
建築家ロイ・グラウンド Roy Grounds
オーストラリアを代表する近代建築家
(1905年12月18日ー1981年3月7日)
メルボルンに生まれる。スコッツカレッジ高校、メルボルン大学卒、Blackett, Forster and Craig設計事務所で勤務。1932年にロイヤル・ビクトリア建築家協会(Royal
Victorian Institute of Architects (RVIA))のアワード受賞。2年間、英国とアメリカで勤務し、近代建築開発に触れる。オーストラリアに帰国し、Geoffrey
Mewtonとパートナーを組み、メルボルンに世界の潮流を呼び込むが、1936年にコンビを解消。1939年に英国に旅行し、帰国後、戦時中は国防軍の建築物に携わる。
グランヅは、1939年は独立してMoonbria(1940?41)などの個人住宅やアパートの作品を作り、名声を獲得した。戦後、メルボルン大学建築学部教授となり、設計を担当した。その後、設計現場に復帰し、フォーマルや幾何学的なデザインに興味を持って設計している。1953年に
Frederick RombergとRobin Boydとパートナーを組み、Victoria. Each事務所を作り、特にキャンベラでの作品で大成功した。1959年に事務所は、ナショナル・ギャラリーオブビクトリアとアートセンターの設計でアワードを受賞しており、グランヅが主任設計者であった。
1962年にOscar Bayneと会社を作った。篤志家 Ken Myerの支援で、その後の20年間をアートセンターの設計に費やした。この時期にMonash
University's Robert Blackwood Hallも設計している。Alan Nelson, Fritz Suendermann,
Lou Gerhardt and Allan Stillmanとの設計である。ギャラリーは時期、予算とも問題なかったが、ヤラ川そばのコンサートホールと劇場は予算、時期ともに大幅に超えたために批判が集まった。
その後、1970年代はグランヅは、ビクトリア州政府の依頼による建築物を手掛けた。
グランズは、1968年に RAIA金賞を受賞し、1969年に英国からナイツの称号を得た。同年にRAIAの生涯フェローに選ばれている。
グランヅの最後の作品は、ホバートの Wrest Point Hotel Casinoの18階建ての五角形の建物である。