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旧財務省ビル

旧財務省ビル Old Treasury Building

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建築史1850‐59

2016年4月16日(土)
旧財務省ビル Old Treasury Building
スプリング通りとコリンズ通りの交差点
Spring Street and Collins Street
メルボルン Melbourne
一般地図  
この場所の地図 Google Map (航空写真)

メルボルンの東南角の一等地に建つのはメルボルンの歴史を語る旧財務省ビルである。後背地にはビクトリア州政府の建物が並び役所地区の玄関口となる。

撮影データ Canon EOS 5D MarkU 絞り優先AE 評価測光 1/125 F9.0 ISO感度 100 くもり 露出補正 JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L USM
2016年1月20日15:16 板屋雅博撮影


旧財務省ビル Old Treasury Building
住所:3 Treasury Place EAST MELBOURNE
設計:J. J. Clark 植民地政府建築局
建築年:1857 - 1862
建築期:ビクトリアン ゴールドラッシュ期
建築様式:ルネッサンスリバイバル
Renaissance Revival style
建築用途:植民地政府役所

JJクラークが19歳の時の作品である。クラークはその後、ブリスベン財務省ビルも設計している。


旧財務省ビルは、豪州の19世紀の建物では最も美しいと云われている。メルボルンの歴史の中ではユニークな位置を占めている。その起源は1850年代のメルボルンに莫大な富をもたらしたゴールドラッシュ期に始まる。巨大な富により1858年から1862年にかけてメルボルン市は急速に発展した。 旧財務省ビルは、1850年代ゴールドラッシュ期のメルボルンっ子の未来への意識を反映して19歳の若い建築家JJクラークが設計した。19世紀に流行したイタリアンパラッツオ様式の中でもルネッサンスリバイバル様式で設計されている。


3階建てで長方形のビルは、長さ(南北方向)200フィート、深さ(東西方向)55フィート、高さ70フィートで優雅なプロポーションを誇っている。1階に3か所の主要入口を持ち、中央部の入口は2−3階への列柱を配したアーケード、念入りに装飾を施した窓や柱、窓の上部の切り妻などが見られる。
ビル外装の化粧材はバッカスマーシュ産の砂岩を使用しており、基礎材のブルーストーンはフッツクレイで産出したものを使用している。地下には金庫室があり、天井は1mの厚さで保護されている。旧財務省ビルは、ビクトリア植民地で産出される金塊を貯蔵する用途として建築され、出来たばかりの植民地政府の総督や首相、財務官、監督官などの高官事務所としても使用された。



1878年に財務官と補佐官が近所の新館(2 Treasury Place)に引っ越しした後に、旧財務省ビルと名付けられた。メルボルンの一等地に建ち、背後に公用広場を持つ主要政府役所として旧財務省ビルは、ビクトリア州総督の就任、辞任式典など数々の政府記念式典や民間イベントに使用されてきた。
豪州は1901年にメルボルンを首都として英国から独立したが、旧財務省ビルは、国家首都役所として使用された。1899年2月に新国家首相(予定)による会合が旧財務省ビルで開催され、メルボルンの植民地政府議事堂が暫定首都役所として使用することが決まった。



現在、旧財務省ビルは、メルボルン歴史博物館として使用されている。歴史的な文書の保管とゴールドラッシュ期の歴史などを展示している。ビクトリア州公共記録事務所(PROV:Public Record Office Victoria )の協力により1830年代からのメルボルンの歴史を見ることができる。原住民アボリジニや犯罪者ネットケリーなどの記録も含まれる。1852年から1862年までのゴールドラッシュ期によりメルボルンは小規模の植民地から繁華な世界的な都市に変貌した。重要な文化遺産を展示している。

Old Treasury Building

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