2015年8月14日(金)
フォーラム劇場 旧ステート劇場 Forum Theatre (former State Theatre) フリンダース通りとラッセル通り Flinders Street and Russel Street
メルボルン Melbourne
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イスラム風の尖塔が屋上にそびえ、豪華な正面と側面のファサードを持ち、グレコローマン様式の旧ステート劇場はメルボルンでも最も豪華な劇場と云える。フリンダース通りの中でも良く目立つ建物である。
撮影データ Canon EOS 5D 絞り優先優先AE 評価測光 絞り 5.6 1/2500秒 ISO感度320 露出補正 オート JPG レンズ
EF 70-200mm f/2.8L /USM 撮影:板屋雅博 撮影2014年1月16日 9:42
フォーラム公式web
Wikipedia
ステート劇場は1929年に施主のユニオン劇場の依頼によりBohringer, Taylor and Johnsonの設計で建築された。当時豪州最大の座席数を持つ格式のある本格劇場として内装、外観ともに豪華にデザインされた。ドレス・サークル(2階の一番前に、半円形に突き出した特等席)もあった。ステート劇場は第一次世界大戦後の復興期の好景気に時期に作られ、当時の先進的で自信に満ちた雰囲気を感じさせる。映画館で上演される映画や文化活動にはどの出し物にも多くの人々が訪れた。豪華なインテリアは映画館を訪れる観客、特に中流から上流階級の人々を惹きつけた。
左側はフリンダース通りで、奥にフリンダース駅が見える。
ステート劇場の主設計者ジョン・エバーソン(John Eberson)はウクライナ系アメリカ人でウィーンで建築を学び、シドニーのステート劇場を含め生涯で100劇場以上を設計している。劇場が公開された際に世界最大級のワーリッツァーオルガン(theWurlitzer
270)を2.5万ポンドでアメリカで特別制作で発注し、船便で1929年に届けられた。巨大なオルガンはふたりの奏者を必要とし、アメリカから多くの著名なプレーヤーがステート劇場で演奏した。第二次政界大戦後まで生演奏の時代が続いたが1950年代に入ると空席が目立つようになり、ワーリッツァーオルガンも使われることが少なくなった。
ワーリッツァー社はドイツ人のルドルフ・ワーリッツァーがアメリカで設立した楽器製造会社であったが、ジュークボックスで大成功し、ワーリッツァーはジュークボックスの代名詞と云われた。
ワーリッツァー社の歴史
右側の建物はグランドハイアットホテル
当時、テレビが一般家庭に普及しはじめ、アメリカの影響もあり映画館は複数のスクリーンを持つマルチスクリーンの時代になった。1962年にステート劇場は内装を変えてフォーラムとラポロのふたつの映画館といくつかの店舗に分割された。ラポロ映画館の入口はラッセル通り側に作られた。ふたつの映画館に作り替えられた際に、ドレスサークルは取り壊された。シングルスクリーンをマルチスクリーンに変更した豪州では最初の実例となった。
巨大なワーリッツァーは外されて個人のコレクターGordon Hamiltonに売られその後、1967年にムーラビンタウンホールに設置された。空いた場所はミルクバーになった。フォーラム映画館の名前に変更された。しかし赤字が続いた為に1985年に閉鎖され、建物は売却された。1985年にフォーラムは、キリスト教会の
'Revival Centres International' (RCI).の本部となった。
その後、マリナーグループの企業家デヴィッドマリナー(David Marriner)が購入した。1990年代後半に大がかりな改修が行われた。その後、フォーラムはライブミュージック、コメディなどの多角的なエンターテイメントに使用され、インターナショナルフィルムフェスティバルの会場としても使われている。オーナーが変更され、用途も変化したが建物には大きな変化はなく現在でもメルボルンの主要な劇場のひとつとして活躍している。
フォーラム劇場 旧ステート劇場 Forum Theatre (former State Theatre) 住所:150−162 Flinders Street 建築年:1928年 建築家:John Eberson, Bohringer, Taylor & Johnson 建築目的/現在の用途:劇場 建築期:両大戦中間期 interwar 建築様式:ネオ・ゴシック
ステート劇場の隠された歴史
Walking Melbourne
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