シティ案内

今日の一枚へ

ラトローブ通り

ウィリアム・アングリス食品商業学校

メルボルン百景トップ

2015年3月1日(日)
ウィリアム・アングリス食品商業学校
William Angliss Food Trades School
ラトローブ通り
La Trobe Street
メルボルン Melbourne
この場所の地図 Google Map

ラトローブ通りの西の端に近い場所にウィリアムアングリス大学がある。TAFEの属する職業訓練学校で特に料理人などの食品処理技術が有名である。

撮影データ Canon EOS 5D 絞り優先AE 評価測光 絞りF6.3 1/500秒 ISO感度 100 露出補正 -1/3 オートJPG レンズ EF 24-70 mm f/2.8L USM  2015年1月24日15:15 板屋雅博 撮影


 ウィリアムアングリス食品商業学校は、1940年に開校した。以前は西メルボルン小学校があった場所で、1910年に制定された教育法に基づいて設立された最初のジュニア技術学校が1912年から使用していた。1939年に同校はエッセンドンに移転し、新設の食品産業を育てる技術学校を作る目的で同校は解体された。先立つ1910年頃に、当時急成長をしていた食品産業の関係者から職業訓練学校(現RMIT大学)にパン業、菓子類の職人を育てる職業クラスを新設しようとする運動があった。1934年にビクトリア州政府委員会(Royal Commission)はメルボルンの小麦、小麦粉、パン業などを調査し、パン職人、食肉職人、料理人、ウェイターなどが受けている訓練コースなどの食品産業の技術訓練に関して改善要望書を政府に提出した。


 1939年に食品産業に特化した職業訓練校を新設すると決定があり、ラトローブ通りにある西メルボルンの旧ジュニア技術学校の跡地が選ばれた。同校は州政府教育省の傘下に所属しサー・ウィリアムス・アングリスの2万ポンドの寄付により1940年9月18日に開校した。

学校ビルは事務所、実験室、作業室、展示室などが入っている。東側の校舎には厨房施設を持った料理学部があり、角部屋にはダイニングルームがある。長大な西ウィングにはお菓子・パン制作学部がある。別の建屋に食肉処理学部がある。第二次世界大戦中にはウィリアム・アングリス食品商業学校は人事部訓練所として使用された。
戦後は豪州連邦職業訓練プログラムの一環として退役兵の社会復帰訓練所として使用された。1950年にはウィリアム・アングリス食品商業学校は再開されている。


ウィリアム・アングリス食品商業学校
William Angliss Food Trades Schoo
住所:555 La Trobe Street
建築年:1940年
建築家:Percy Everett、主任建築家(1934-1953)、公共建築局
建築様式:パラディアン様式
建材:強化コンクリート、表面化粧煉瓦、寄棟屋根
パラディアンとはルネサンス期のベネチアの建築家Andrea Palladioが提唱したシンプルで対象の調和を求めた様式。ラッフルズホテルなどシンガポールのなどアジアにも多い。学校ビルは典型的なパラディアン様式で左右対称の構造で中央ブロックを持つ2階建てになっており、1階建ての補助建築物が付随している。


ウィリアム・アングリスは、1865年に英国イングランドに生まれ食肉業を学び、ロンドンで叔父の肉屋で働いた後、ニューヨークへ移住し、その後1886年に21歳でメルボルンに移住しノースカールトンに肉屋を開業した。ビジネスは順調に拡大し、1892年に市内のバーク通りに店を移転した。その頃、冷凍の食肉の輸出をスタートし、冷蔵・冷凍食肉輸出の先駆者となった。アングリスの食肉輸出業は非常に成功して1905年には専門の冷凍加工工場をフッツクレイに設立した。NSW州やクインズランド州でも食肉輸出を開始し、牧場経営や牛のステーションなどのビジネスへも進出した。
1912年から1952年までアングリスはビクトリア州法制委員会のメンバーにも選ばれ、政界にも進出した。食肉輸出産業にも貢献している。



 1971年ウィリアム・アングリス食品商業学校はウィリアム・アングリスCatering and Food Studiesと名前を変えた。この時期、カニーンウィングが建設された。1978年にウィリアムアングリスカレッジと名前を変え、旧西メルボルンジュニア技術学校やメルボルンヘアドレッシング学校のの建物を引き継いだ。1980年代には4階建ての西ウィングが完成している。



 
Wikipedia

Wiiliam Charles Angliss

公式web

Onmydoorstep




このページのトップへ

inserted by FC2 system