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フランシスオーモンドビルディング Francis Ormond building

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ラトローブ通り

RMI大学

建築史1880-89

2019年9月20日(日)
フランシスオーモンドビルディング
Francis Ormond building
ラトローブ通り
La Trobe Street
メルボルン Melbourne
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ラトローブ通りを州立図書館から少しラッセル通りへ登っていくと左側に美しいタワーが見える。旧フランシスオーモンドビルディングで現在はRMIT大学の1号館である。

撮影データ Canon EOS 5D 絞り優先AE 中央部重点平均測光 絞りF5.6 1/500秒 ISO感度 100 露出補正 オートJPG レンズ EF 24-70 mm f/2.8L USM  2017年1月18日16:31 板屋雅博 撮影


 フランシスオーモンドビルディングは、1887年にオープンしたメルボルン労働者男性カレッジに始まっている。1885年から86年の第一ステージとしてボーエン通り側の建物は、11000ポンドの建設費でJ Mooreの請負により建てられ、中央講義室(現在は、大学運営委員会事務室 council chamber)、ワークショップ、教室、世話係り控え室が入居した。設計は、1883年にコンペが行われ、建築家のPercy Oakden、Leonard Terry、Nahum Barnetが一等になり設計した。Percy Oakdenは、カレッジの建築学の教授となった。第二段階は、1890年から92年であった。Percy Oakden, George Addison, Henry Kemp事務所が設計し、13700ポンドの建設費でラトローブ通り棟、タワー、事務所、カッレジ事務局、教師控え室、教室、研究室などを建設した。



 労働者階級の教育を改善するというカレッジの理想は、1881年にフランシス・オーモンドによって提唱された。オーモンドは、スコットランド移民で農業資本家で莫大な資産を教育問題に提供した。労働階級男性カレッジは、オーモンドからの寄付金を基盤として組合からサポートされていた。オーモンド、ビクトリア議会議員Charles Pearson,とトレードホール(労働会館)の事務局長W E Murphyの3名の男性が設立に関係していた。 F A Campbellが最初の校長であった。最初の大きな改革は、単位取得システムであった。労働者が毎日の仕事を終った後の夕刻に出席したすべての教室で取得できるようになった。学校は、狭い技術教育だけでなく広い分野の教育を提供し、男性に限らず女性にも可能であった。オーモンドの他界後に1200ポンドの寄付金が集められて、 Percival Ball 作の銅像が1897年に建てられた。



 1934年にメルボルン技術カレッジに改称し、1954年にロイヤルメルボルン技術カレッジになり、1960年にRoyal Melbourne Institute of Technology(RMIT)に改称された。1992年に現在のRMIT大学となった。キャンパスは、拡大し、最初の建物は、RMIT1号館となったが、1981年にフランシス・オーモンドビルとなった。

フランシス・オーモンド・ビルは、左右非対称で3階建てゴシックリバイバル様式でブルーストーンの基礎の上にレンガ造り、砂岩で化粧してある。スレート屋根で左岸の煙突を持っている。



 通りに面したファサードは、堂々としたスタイルをしており、岩石にも見えるバランボール産の砂岩と表面がきれいなWaurn Ponds石を開口部に使用している。最も目を引く特徴は、ラトローブ通りに面したタワーであり、傾斜がきつい第二帝国様式の屋根を持っている。Bowen Street通りに面した建物はシンプルなデザインだが、第二期に作られた建物群は豪壮な様式をしている。1911年から13年に大学の隣に新しいメルボルン地方裁判所が建設され、北部ヨーロッパの中世を復活したような通りが出現した。

 

 フランシスオーモンドビルディング
Francis Ormond building
RMIT大学1号館
住所:124 Latrobe Street
建築年:1885 - 1890年
建築期:ビクトリアン
建築様式:ネオゴシック
建築目的:大学、現在の用途:大学
建築家:Terry & Oakden and Nahum Barnet Oakden, Addison and Kemp

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