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ポートランド

ポートランド税関 Portland Customs House

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2012年12月8日(土)
ポートランド税関
Portland Customs Office
ポートランド Portland
ビクトリア Victoria
この場所の地図 Google Map

ポートランド税関は、ポートランドの海岸地区の見晴らしが良い場所に立っている。全盛期にはこの場所がヨーロッパからの船が入港する港地区であった。

撮影データ Canon EOS 5DMarkU シャッター速度優先AE 評価測光 絞りF6.3 1 /125秒 ISO感度 100 露出補正-1/3 太陽光 JPG レンズ EF 24−70mm f/2.8L USM
2011年2月03日 板屋雅博 撮影


  ポートランド税関は、クリフ通り(Cliff Street)にあり、1849年に建築された。ポートランドの海岸通りは、断崖の上にあるので、クリフ通りと名付けられている。
現在でも現役の税関として使用されている。オーストラリアの政府建築物の中で、当初の役目で使われている建物としては最も古いものである。

オーストラリア税関一覧

メルボルンよりも1年早く1834年に移民がスタートしたポートランドは、農業が栄えた。深い入り江と水深が深いポートランドは現在でも良港であるが、帆船の時代も良港であった。オーストラリアの南岸は一般に水深が浅い。アデレード、ポートランド、メルボルンが水深が深い港として知られている。
1840年代に入ると農業畜産物の輸出港として繁栄した。1850年代から1860年代のゴールドラッシュの時代もその重要性は増すばかりで、1846年に作られた港湾施設は1859年に改造された。


 1860年代から1870年代にかけては、各種の産業が発達し、産業都市としてメルボルンに並ぶ存在となった。1878年にメルボルンとポートランドを結ぶ鉄道が整備された。

1860年代のポートランドでひとつのエピソードが残されている。貧しい人々への教育と福祉への貢献を認められて、2010年にオーストラリア人として初めてローマカトリック教会から聖人に列せられたメアリー・マッキロップが1862年から1866年までポートランドの町に住んでいたことである。
1842年にメルボルンのフィッツロイで貧しい司祭の家に生まれたメアリーは、貧しい家族を助ける為に、14歳でメルボルンで女中として働き始めた。18歳の時に、南豪州ペノーラ(クナワラ)にある叔父さんの家で住み込み家庭教師となった。


  1862年20歳の時、親戚のキャメロン家の娘たちの為に住み込み家庭教師としてポートランドにやってきた。ポートランドの創設者の家族であるヘンリー家(Stephen Henry)から部屋を借り、離散した家族と生活を始めた。仕事ではポートランドのオールセインツカトリック教会の聖具保管担当者になり、1863年に地元の小学校の先生となった。

旧郵便局 Old Post Office
現在は、レストラン
Fergies Cafe & Wine Bar
Cnr Cliff & Bentinck Street, Portland VIC 3305, Australia
+61 3 5523 4777

  1864年には、小学校の先生を続けながら、女の子のためキリスト教の日曜学校を設立した、キリスト教の他、絵画、音楽、なども教えた。しかし日曜学校は不振で、小学校の職も失い、家族との関係もうまくいかないという失意の日々を送った。1866年にメアリー・マッキロップはペノーラへ戻った。ペノーラで将来、聖人に叙せられた貧しい人々への教育と福祉への貢献への本格的な歩みを始める。
メアリー・マッキロップが20歳から24歳まで過ごしたポートランドは、彼女の原点となる経験をしている。


smh com.au   Australian Heritage

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