シティ案内

今日の一枚へ

グランピアンズ Granpians

カンガルー Kangaroo

メルボルン百景トップ

2011年5月8日(日)
カンガルー Kangaroo
グランピアンズ
Granpians National Park
ビクトリア
Victoria
この場所の地図 Google Map
航空写真

メルボルンでは自然のカンガルーを見ることはほとんどないが、自然が豊富なグランピアンズでは、街中の公園などでもたくさんのカンガルーに会うことができる。

撮影データ Canon EOS 5D
シャッター速度優先AE 1/250 評価測光 露出補正 -1 絞りF20.0 ISO感度 100 露出補正 太陽光 JPG レンズ EF 400mm f/2.8L

愛嬌あるカンガルーを400mmレンズでアップ

カンガルーは、オーストラリア固有の動物。オーストラリアの紋章には、カンガルーとエミューが描かれている。共に後進ができない動物でオーストラリアの象徴となっている。オーストラリアの硬貨などに使われている。
カンガルーが使われている例
カンタス航空のロゴ
オーストラリア空軍のロゴ
オーストラリア海軍の軍艦にはカンガルーが描かれている。
オーストラリアのコイン

カンガルーの名前がついた著名な場所
Kangaroo Flat ベンディゴの州
Kangaroo Island サウスオーストラリアの島 観光地
Kangaroo Point 岬 数箇所ある
Kangaroo Ground メルボルンの町
Kangaroo River NSWの川
Kangaroo Valley NSW州の盆地
Kangaroo Creek Reservoir サウスオーストラリア州の川
 
オーストラリアのスポーツでカンガルーを名称などに使っている例
国際試合のオーストラリア代表チーム
サッカー サッカールー
ラグビーリーグ
ラグビーユニオンの代表チームはワラビーズ
女子ホッケーチーム
アイスホッケーチーム
男子バスケットボールチーム

オーストラリア国内スポーツ
オーストラリアンフットボール
ノースメルボルン カンガルーズ

親しみやすい動物なのでアメリカ、サモアなど他国でもマスコットなどとして使われている。

カンガルーは、有袋類の草食の哺乳動物です。オーストリア大陸全体とタスマニア島、ニューギニアに生息している。大型のカンガルーと小型のワラビーに別れ、カンガルーにもいくつかの分類がある。後ろ足で跳躍するように前進するのが特徴で、時速45kmほどで走。最高速度は75kmほどです。足やしっぽの構造上、後退することは出来ない。
 
カンガルーは、原住民族アボリジニのgangurruに由来する。
キャプテンクック(Captain James Cook)の豪州探検の際、1770年の8月4日の航海日誌に記録されている。
1770年4月19日、クック船長の英国海軍のデンデバー号(HM Bark Endeavour)は、シドニーから22km南に行った場所で、豪州大陸を発見。New South Wales州のKurnell。。4月29日にクック船長一向は、同地でヨーロッパ人としては初めて豪州大陸東海岸に上陸。それからエンデバーー号は、北へ向かって航海を続けた。

なお、オーストラリア大陸を初めて発見したヨーロッパ人は、オランダ東インド会社の探検家Willem Janszoon船長。1606年にクインズランドのケープヨークに到達している。

1770年6月10日午後11時、エンデバー号はグレートバリアリーフで座礁。
2日間に渡る脱出努力の末、6月13日、大半の物資を捨て、瀕死の状態となりながら座礁から抜け出したエンデバー号は、近くの川に逃げ込んだ。その川は後にクック船長によってエンデバー川と命名されている。エンデバー号の修理をした入り江はCook Townと名づけられた。修理が終わったエンデバー号は8月3日に再度、航海を開始し。その翌日の8月4日の航海日誌に初めてカンガルーの名前が記録されている。
 
カンガルーは、オーストラリアの原住民アボリジニにとっては貴重な食料元。ヨーロッパから移民した白人はカンガルーはほとんど食用としていなかった。シドニーへの植民の際には、移民船で十分な食料を英国から運んできたのでカンガルーを食用としていない。しかしタスマニアでは食料が不足したために、多くのカンガルーを食用としているが、その後、羊の数が増えたためにカンガルーを食用とするのを止めている。


 1820年代には、カンガルーは、タスマニアの貨幣に登場。カンガルーを食用からオーストラリアのシンボルとしてみなすようになった。1850年代には、カンガルーは多くの貨幣やシンボルマークに登場。1843年には、メルボルンは、カンガルーを市の紋章のデザインの中央部に取り入れている。ビクトリアは、1851年に植民地として独立したが、やはりカンガルーを紋章として採用。NSW植民地やアデレードもカンガルーを紋章に取り入れてた。
各州は、独自の考えで採用しており、カンガルーを持ってシンボルと考えるようになっていることがわかる。


 1800年代の後半には新たな問題が発生。
カンガルーの生息数の爆発的な増加だ。
羊の増加により、入植者はカンガルーを食べなった。
一方でアボリジニの人口は、病気や虐殺などで大幅に減ってしまい、カンガルーを捕殺する天敵がいなくなったのだ。
そのためカンガルーは害獣であるとの認識が農民の間にひろがり公然としたカンガルーの大虐殺が始まった。
1870年代からはカンガルードライブ(kangaroo Drive)という方式が取り入れらた。
1877年にはクイーンズランドで有袋類駆除法が成立し、本格的にカンガルー狩が始まった。
もちろんコアラなども害獣と考えられ数万頭単位で処分されている。
NSWでも1880年に牧草及び家畜保護法が成立して有袋類の全滅作戦が始まった。
1900年代に入り、豪州が成立した後も各州のカンガルーの捕殺は続き毎年100万頭ほどのカンガルーが処分されてる。

カンガルー産業界公式Web 

カンガルー産業(wikipedia)


グランピアンズ Granpiansトップ

メルボルンの動物を更新しました。


このページのトップに戻る   

inserted by FC2 system