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モーニントン半島

ケープシャンクとレディネルソン号

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2011年1月9日(日)
ケープシャンクとレディネルソン号
Cape Schanck
モーニントン半島
Mornington Peninsula
メルボルン Melbourne 
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ケープ・シャンク(Schanck)は1800年前後に活躍したイギリス海軍のジョン・シャンク提督に由来する。
シャンク提督は、メルボルンやオーストラリアに来たことはないが、オーストラリアの初期に活躍したレディ・ネルソン号と深い関係がある。調査船レディ・ネルソン号の浅い喫水を可能にした可動式キールを設計したのがシャンク提督。

撮影データ Canon EOS 5D 絞り優先AE 評価測光 絞りF13.0 ISO感度 100 露出補正 -2/3 AWB JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L USM

 ケープシャンクのインフォメーション

レディネルソン号は、1800年代の最初の頃、タスマニアやビクトリア沿岸で活躍した歴史的な調査帆船で、メルボルン湾(Port Phillip)に初めて入った船。
ナポレオンとの戦争に活躍した英国帝国海軍屈指のネルソン提督(Horatio Nelson)の奥さんに名前を由来。1799年に英国イングランドのDepfordで建設され、1800年に英国海軍に引き渡された。
調査船として建造しされたために、喫水(Draft)がわずか6フィート。進水後まもなくJames Grant船長のもと、オーストラリアの探検に派遣された。
 
ケープシャンクは、バス海峡に面しており、住民も少ない為、水質が非常に良い。

1800年12月には、シドニーへの航海の途中にビクトリア(当時は、NSW植民地の一部)の西側地域に到達し、バス海峡を始めて通過した初めての欧州船となった。
この最初の航海中にグラント船長は、ビクトリアの海岸線の多くの地名を名づけている。Cape Schanck, Mount Gambier, Cape Northumberland, Cape Banks, Cape Bridgewater, Mount Schank, Lady Julia Percy Island, Portland Bay, Point Danger, Cape Otwayなど。
1801年には、Jervis Bay, Westernportなども調査、命名。
レディネルソン号の最も有名な航海は、1802年にJohn Murray船長の下でのものです。歴史上初めてメルボルン湾(Port Phillip Bay)を発見して調査。この航海ではKing Islandも発見している。

レディネルソン号は、1803年には、フリンダース船長(Matthew Flinders)のInvestigator号とも行動を共にしている。
1803年7月には、レディネルソン号は、シドニーからタスマニアへの最初の殖民団を輸送。デビッドコリンズ大佐(David Collins)と10名の囚人、3名の兵隊を1803年9月7日にタスマニアに上陸させ、更には現在のホバートの場所に移動させている。1804年10月には、次の移民団をPort Dalrymple(現在のロンセストン)へ輸送。

スペインーアメリカ戦争の関係で、オーストラリアへ迷い込んできたアメリカの軍艦Estramina号と交戦し、同号をシドニーまで連行するという功績も立てている。。
その後、ニュージーランドなどの探索の後、レディネルソンは、NSW植民地ブリスベン総督もと北部の地区(現在のブリスベン地区)を探索。

バス海峡の水温は、非常に低いので、真夏の40度以上の気温でも、ウェットスーツを着ないととても泳げない。

1825年、レディネルソン号は、北西チモールへ食糧輸送の任務についた。原住民に捕まり、船長以外の船員は、全員殺され、レディネルソン号も放火されて小型の大砲2門を除いて燃えてしまった。

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