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クイーンズクリフ・ブラック高台灯台 Queenscliff High Light

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白灯台

ロンズデール岬灯台

2021年9月19日(日)(responsive版)
クイーンズクリフ・ブラック灯台
Queenscliff High Light
クイーンズクリフ
Queenscliff
ビクトリア Victoria
この場所の地図(Googole Map) 

クインズクリフ・ハイ灯台は、ブラック灯台、クイーンズクリフ要塞灯台、ショートランド・ブラフ灯台などと様々な呼び名を持ち、クインズクリフ要塞の中に立っている。黒色の灯台は世界で3つだけであり、南半球では唯一である。塗装さえてなく黒いブルーストーン石材が?き出しである。

撮影データ Canon EOS 5DMarkU シャッター速度AE 評価測光 絞りF10.0 1/160秒 ISO感度 100 露出補正 オート JPG レンズ EF 24−70mm f/2.8L USM 2010年12月28日16:21 板屋雅博 撮影

 近くにある白いクインズクリフロー灯台と共に1862年に建設された。同時期に建設された両灯台は、デザインに共通性がある。最初の灯台は、1843年に同じ場所に建てられ、砂岩製であったが、灯台のライトのパワーが低かったことと老朽化したので建て替えたものである。ランプとランプハウスはイングランドのチャンス・ブラザーズ社(Chance Brothers)が制作した。灯台は海水面から40mの高さの場所に立っている。灯台の方位により、固定光(fixed light)と15秒の間を置いて明暗光(occulting signal)を放射するブラック灯台は、クインズクリフに設置された4つの灯台のひとつである。4つの灯台でポートフィリップ湾の悪名高い危険な入り口部分への安全な航行ライン(eading line)として使用される。

 灯台の建築に使用されているブルーストーン玄武岩は、どこの産出物であるのかは議論が分れている。英国からの船のバラストとして積まれていたスコットランド製のブルーストーンであるという説がある。もうひとつはメルボルンの石切り場で切り出されたブルーストーンであるという説だ。第三の説は、灯台全体がスコットランドで切り出され、船積され、現場で順番に組み立てられたというものである。この灯台は、スコットランドでデザインされたものである。ショートランドのブラフの立地場所は海面上40mであるが、設計では波打つ際で使用されるように設計されている。波からのショックを避けるようにカーブがつけてあり、5m高い位置に入り口が取り付けてあり、現在も見ることが出来る。英国の灯台は伝統的に海水面や岩の上に建設されている。建設されてから10年間は、縄梯子を使って中に入ったが、その後は、地面のレベルに新たに入り口が付けられた。

 クイーンズクリフ要塞は、灯台の周辺にゴールドラッシュ時代に建設された。金塊を運ぶ船が海賊に狙われるおそれがある為であった。灯台は、1890年にガス式に変更され、1924年に電気式に変更された。ビクトリアで最初の電話が設置された。現在、灯台は無人化されており、メルボルン港公社が管理している。

クイーンズクリフ白灯台(White Lighthouse)として知られる低台地灯台(Low Light)はクイーンズクリフの街中にある灯台である。世界で10本指に数えられる危険な航路であり、唇と呼ばれる湾の出入り口を見下ろすクイーンズクリフ半島の低いスロープに立地する。メルボルン港湾局が運営している。最初は1854年にプレファブ製の木製灯台であったが、1863年に解体されポイントロンズデールに移動され、恒久的な灯台が建設された。

 ランプとランプハウスはイングランドのチャンス・ブラザーズ社(Chance Brothers)が制作した。灯台のランプは1890年にガス灯になり、1924年に電灯に替えられた。この灯台の主目的は、クイーンズクリフ高台灯台と一直線上に位置して(in range with)、白色光を発色してフィリップ湾に入る為のメイン水路へのガイドとなる為である。スケルトン構造で赤色を出すヒューム(Hume)タワーと緑色を出すマレー(Murray)タワーに左右を支えられている。フィリップ湾の出入り口である「ザリップ」を通過する正しいコースを明示するユニークな航路光を出す灯台と一致して明滅する。

 ポイントロンズデール灯台(Point Lonsdale Lighthouse)は、又の名をポイントロンズデール信号所(Point Lonsdale Signal Station)と云いクインズクリフにあり、メルボルンへの唯一の海路である、バス海峡からフィリップ湾への入り口の西側に位置する。ビクトリア港湾局によって運営されている。ポイントロンズデール灯台は、

 ビクトリア公共建設局によって設計され、建設請負業者はコーツ兄弟商会(Coates Brothers)であった。初期の建設であるポイントヒックス灯台(Point Hicks Lighthouse )に代表される1800年代後期のビクトリアの灯台によく似ている伝統的なデザインであるシリンダー状のタワーと柱頭(capital)を持つ。柱頭は柱の最上部にある刳形 (くりかた) 。 アーキトレーブを広い面積で支え,建築上部の重みをやわらげて柱身に伝達するという力学的な意味と美的,装飾的意味とをもつ。


 強化コンクリート製で頭部にチャンス兄弟商会製のランタンがある。ランプの灯は当初はオイルが灯されたが、その後はアセチレン灯になり、その後は電灯に変更された。




 
基礎部分は五角形をしており、二階建てでの煉瓦作りの信号所と観測室であった。タワーのなかほどに、頭部に赤色灯と緑色灯の航行用ライトを支える方持ち式(cantilevered)プラットフォームがある.。
1852年に最初にポイントロンズデールに設置されたのは航行補助設備は信号機であった。1856には赤い柱を持つビーコン(beacon)が設置された。1863年にはブレファブ木材製クリンズクリフ低地灯台がポイントロンズデールに移設され、特徴的な黒色と赤の縞模様に塗装された。1867年に恒久的な灯台が建設されるまでの一時的な灯台であった。

 1902年に現在のコンクリート製のタワーが建設されて、木材製のタワーは解体されて1912年に焼却された。灯台の運営管理は1915年にビクトリア州から連邦政府に移管された。1934年に灯台は、政府管理の沿岸ハイウェイ灯台から港湾出入り口灯台に格下げされて、州政府に戻された。1950年に信号所と観測室はタワーの一階に統合された。

灯台は1999年に自動化されて無人となったが、信号所には係員が配置されている。ポートフィリップ湾の内外部の指定された地域ての商業用船舶の行動を管理している。たぶんオーストラリアで最後の有人灯台である。

 
ポイントロンズデール灯台はポートフィリップ湾の最初の海から見える最初の灯台である。

防衛用の施設から両大戦期にメルボルンとジーロンの都市防衛の要であった事がわかる。

1884年建設のビクトリアの灯台では唯一のものである警笛(foghorn shed)小屋、1891年建設の爆弾貯蔵庫(後のロケット倉庫)は特に重要である。現在も敷地に残るガーデナー(Gardner Engine)1機は空気を2機の垂直貯蔵用タンクに貯めて、警笛を鳴らす仕組みである。当時のままの設定で残っている。

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