ウェブブリッジ橋は、ポートメルボルンにあるフィッシャーマンズベンド(Fishermans Bend)にあるウェブドッグを結ぶウェブドッグ鉄道線橋(Webb
Dock Rail Bridge)の残存部分の部材を再利用したものであり、ドックランズの北部新都心地区と南部の新しい住居地区を結ぶ目的であった。
ウェブブリッジ橋は、南北で平面の高さの違いを調整する為とサウスバンク地区からの道路との接続の為に、ふたつの区間から成り立っている。最初に作られた北側の部分(145m)と南側のカーブした傾斜部(80m)である。ふたつの部分は継ぎ目なしに繋がれ、大きさ、湾曲部などを強調している。
ウェブ橋はふたつの主なコンポーネントに分かれている。鋼鉄製ボックスビーム桁材(steel box beams)の上部の塗装されたコンクリート製スクリード表面処理された歩道デッキ(pigmented
concrete screed deck)と橋に円弧をもたせるバスケット(baskets)と円弧の肋骨部分(ribs of circular)、卵状の輪(ovoid
hoops)のふたつである。フープは、5ー8.7mと4−8.9mの高さがある。橋の内部で中心部が変化する15x500mmの鋼材を使っている。幅150mmの鉄製ストラップ帯を多量に使って接合している。鉄製の部材は、工場で組み立てらえて、満潮の時に浮かぶ架台船で設置された。
1986年2月27日にウェブドック路線は、州運輸大臣のトム・ローパー(Tom Roper)によってオープンされた。ウェブドック港との貨物用として建設され、その後、1,600
mm 広軌(broad gauge)複線(dual gauge)となったがANL,より多額の損失が出るとして批判を浴びた。スペンサー通り駅を出発して、現在のドックランズスタディアム→ヤラ川架橋→西へ→ロリマー通りに平行して→
Todd Roadで南へ→ウェストゲートブリッジ橋の下→ウェブブリッジ橋へ至る。事務員の紛争や鉄道作業員のストライキなどでオープンしてからほとんど稼働できなかったが、1992年には毎晩、定期貨物列車が走った。1992年が最後の列車で、1996年にドックランズの建設に伴い閉鎖された。ヤラ川を越える鉄道橋は、歩道になった。ボルテ橋の西側は、現在も当時の場所のままである。(remains
in situ.)当初、ポートメルボルンで海岸部を走る計画があったが、住民の反対が出て廃止された。
メルボルンの最初の港は、都心部クイーン橋の西側下流であった。喫水が深い大型船はポートフィリップ湾にアンカーを打って停泊し、小型船に荷物を積み替えていた。第二次大戦直後に、港湾局はヤラ川河口に新しい接岸ドックを建設を計画した。従来は、クインズ橋で旋回(turn-around
time)をする手間がかかっていた。ヤラ川河口にはかつて漁民の宿泊小屋があったが、ドックの拡張の為に撤去された。No1埠頭は、ローロー船用として1959年にオープンし、タスマニア号(Princess
of Tasmania)の旅客用として、車両積み下ろし用のランプ傾斜路が作られた。タスマニア号は、ウェブドックを1959年から使用を始めたが、豪州では初めての施設であった。
No2は、1961年に完成したが、バス海峡を理容する貿易に使うローロー船のバースであった。