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ロイヤルテラス ROYAL TERRACE

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メルボルンの建築物1850‐59

2018年11月10日(土)
ロイヤルテラス
ROYAL TERRACE
ニコルソン通り 
フィッツロイ Fitzroy
メルボルン Melbourne
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ロイヤルテラスが建築された1854年は日本では幕末の安政元年で、ペリー来航などがあった年である。メルボルンでは、ガスの供給もまだ数年先で、電気はなく、移動は徒歩か馬車の時代である。そのころに現代でも使われるテラスが英国からの輸入材料を使って建設されたことは驚嘆に値する。

撮影データ Canon EOS 5D MarkU 絞り優先AE 評価測光 1/640 F6.3 ISO感度 100 オート 露出補正 JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L USM
2018年1月17日18:37 板屋雅博撮影

 ROYAL TERRACE
50-68 NICHOLSON STREET FITZROY, YARRA CITY
ロイヤルテラスは、10列3階建ての集合住宅アパートメントである。レガシー様式で建設されている。
施主は、ジョン・ブリアント(John Bryant)で、彼は富裕な材木商で、建築家でもあった.ブリアントは、建築完成後、1891年に他界するまで、このテラスに住んだ。テラス全体は、1955年まで
ブリアントの家族が住んでいた。
建設は、1854年に始まり、1856年後半に完成した。現在、世界遺産カールトンガーデンのニコルソン通りを挟んで反対側に位置する好立地である。



  建設は2段階で実施された。現場の北側の端から開始された。最初の段階では4戸の住居が建設された。住宅番号62−68である。次に6戸50−60番である。この段階では設計を担当する建築家は決まっていなかった。最終的にジョン・ギル(John Gill)が採用された。テラスは精巧なブルーストーンの切石積に砂岩の化粧材を使用して建設されている。1階フロアの壁は漆喰で塗装されている。ステラの両端側がすこしニコルソン通り側へ張り出している。連続した砂岩の欄干があり、ネームプレートが中央部にあり、屋根は隠れて見えない。


ベランダは、
 1880年頃にバラ飾りなどが欄干に加えられた。1階部分のベランダは、木製の柱の上に支えられている。中がくぼんだ屋根は、スレートで吹かれており、ダイヤモンド状に大理石のタイルが敷かれている。表側の2階建てテラスと裏側の1階建てウィングは建設当時のままの状態に保たれている。
当初できたブルーストーン製の厩舎は、6軒の住居の裏側に現存する。他の4軒の裏手には厩舎を隔てた隔壁が残っている。全部の厩舎が裏側境界線に沿って位置していない。むしろ厩舎は境界線からはすこし後退した場所にある。




 ニコルソン通りへの舗装指導は、たぶん現代のものである。当初の私道は、残存物から見て、たぶん赤い砂岩は、スコットランドのアーブロース(Arbroath)、灰色の砂岩は、カイスネス(Caithness)産からの輸入品である。前部境界線の鋳物のフェンスは、たぶん輸入品である。短い時期だが、このテラスに居住した有名なメルボルンっ子としては、ビクトリア首相のSir John O'Shanassy、芸術家の Nicholas Chevalier

Sir John O'Shanassy, KCMG (18 February 1818 ? 5 May 1883)




 初期のメルボルンに残るテラス式集合住宅としては、最大の建築物であり、優雅さの点でも比較する建物はない。シンプルな構成と質素な装飾は、高貴な印象を与える。ビクトリアのレガシー様式(Regency style)の比較的めずらしい作品である。大きさ、砂岩作品の品質などの点で豪州全体で並ぶものがないというレベルである。
輸入品の敷石を使った私道の舗装は、当時のメルボルンでは画期的なものである。



 ニコルソン通りを隔てた場所には、エキジビッジョンビルディングがある。ロイヤルテラスは、1850年代、ゴールドラッシュにより社会が大きく変化していく時代を明確に示す重要な歴史遺産である。

植民地政府首相など有名人が住んでいたことは、この場所がビクトリア議事堂や政府中心地のイースタンヒルに近く、カールトンガーデンの隣に位置することなども重要な点である。

VHD   emelbourene

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