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サウスメルボルン・ガス会社 South Melbourne Gas Works

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2017年3月19日(日)
サウスメルボルン・ガス工場 
South Melbourne Gas Works
ポートメルボルン Port Melbourne
メルボルン Melbourne 
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メルボルンガス&コーク会社など16のガス会社が設立されたが、サウスメルボルンガス会社は、1872年に設立され1873年に都市ガスの供給を開始した。毎日24時間操業した。石炭はポートメルボルンのタウンピア(現、サウスメルボルンヨットクラブの場所にあった。)で荷揚げしされた。馬車トラムでベイストリートから輸送された。

撮影データ Canon EOS 5D 絞り優先優先AE 評価測光 絞り9.0 1/250秒 ISO感度100 露出補正 オート JPG レンズ EF 70-200mm f/2.8L /USM 撮影:板屋雅博 撮影2017年1月21日 16:07


 この時代は自動車もなく、ケーブルトラムもまだ普及していなかったので重量物は、軌道レールの上を馬車で引いてゆく方法が重量物を定期的に輸送する効果的な方法であった。サウスメルボルンガス会社は、ポートメルボルン地区では最大の雇用者であり、数百人を雇用した。いくつかの記憶に残る大事件を引き起こしている。1920年には何の前触れもなく1基の巨大なガスホールダーが爆発した。一瞬のうちにすごい量の金属片が爆発と共に飛び散り、爆音は60km離れたメルボルン郊外でも聞こえた。信じられないことにけが人はいなかった。1940年代後半にビクトリア州の品質が劣る褐炭を使用してガス化する方法が開発された。当時の3政党とも州の資金を投資する法案に賛成した。
1950年代には、ビクトリア州ガス&燃料公社(Gas and Fuel Corporation of Victoria)が設立された。
  
 サウスメルボルンガス会社は、1929年に始まった大恐慌も生き延びたが、1937年には、メルボルンで最初の座り込みストライキの場所となった。1940年代には第二次世界大戦が起こり、慢性的な石炭不足が発生して、ビクトリアのガス産業は大混乱となった。NSW州で取れる瀝青炭は戦後も1940年代を通して不足していた。この問題は一般市民にも関心を呼び、拡大するエネルギー需要に合致する新しいエネルギー源を探し始めた。

 同社は、メトロポリタンガス会社、ブライトン会社が合併し、ビクトリア州政府の資金が投資された。その主な目的は、メルボルンから南東に150kmほどの場所にあるギップスランドのモーウェル(Morwell)市に褐炭ガス化プラントを建設することであった。最初の数年でモーウェルにドイツのルルギ式ガス化工場が建設された。1956年の開所式典には英国のエジンバラ公が参列された。同年にモーウェル工場は褐炭も生産開始した。この頃、他の廉価なガス製造方法も現れてきた。

 W & T Avery LTD, Birmingham, Englandの記入がある自動車用台秤
同社は、1700年代初頭に作られ、William and Thomas Averyが買収して1818年にW & T Avery LTDの名前になった。バーミンガム工場とあとふたつがあった。1895年に蒸気機関車で有名なJames Watt & Coの伝説のSoho工場を買収している。



 モーウェルでの石炭ガス生産に伴い、1957年にサウスメルボルンガス工場は、生産を停止した。1960年代に入ると豪州のあちこちで十分な埋蔵量を持った天然ガスが発見された。バス海峡で天然ガスが発見されると、数年でメルボルンの中小ガス工場は全て閉鎖され、1000名以上の労働者が解雇された。100万以上のガス機器は、天然ガス用に転換された。現在でもメルボルンは、バス海峡の天然ガスの供給を受けている。ガスの流量を図るガスメーターは、1985年までサウスメルボルンに残っていたが、その後、他の場所に移設された。


 


1986年にサウスメルボルンガス工場は、ガスワークス芸術公園となった。


ガスワークス公式web 

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