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クラレンドン・テラス Clarendon Terrace

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2013年3月12日(火)
クラレンドン・テラス
Clarendon Terrace
イーストメルボルン
East Melbourne
メルボルン Melbourne
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イーストメルボルンの医院が並ぶ界隈に初期のテラス建築(一種のアパート)名建築がある。イーストメルボルンは、メルボルンの初期の時代に政府の官僚が多く住む地域であり豪華な建物が多い。1856−1857年頃としては巨大なテラス建築に注目したい。

撮影データ Canon EOS 5D MarkU 絞り優先AE 評価測光 1/200 F8.0 ISO感度 100 オート 露出補正 JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L USM
2013年1月13日17:21 板屋雅博撮影

  クラレンドン・テラス
Clarendon Terrace
住所:208-212 Clarendon Street, East Melbourne
建築年:1856年ー1857年
建築家:Osgood Pritchard
建築期:ビクトリアン
建築様式:アカデミック・クラシカル
Academic Classical
階数:2階建ての3つの建物から成る。
建築材料:ブルーストーン

特徴:中央部の巨大なコリント式柱
メルボルンにはイオニア式の柱が多いが、深い溝が彫りこまれた細身の柱と頂上部に装飾が施されたコリント式はメルボルンでは珍しい。

クラレンドン通りに面した鋳物製の柵は、昔、馬をつないだもので保存対象の一部。

  クラレンドン・テラスの施主は、ワインや蒸留酒の製造販売をしていたチャールズ・リスター( Charles Lister)。建築主は、ロバート・ハックソン(Robert Huckson )。当時、この建物にはメルボルンの著名な市民がテナントとして入居していた。電信会社の社長Samuel McGowanは1862年から1863年。G.C. Leveyは、1864年から1865年。中国人の著名な商人で米粉の製造家、金融業者のAh Mouyは1866年から1869年。 ビール製造用のモルトとホップ商人のRichard Goodhindは、1866年から1869年。その後、エリザベス通りの宝石主でメガネ店主のマークス家によって買収された。

右隣の白い建物は、同じOsgood Pritchardがデザインした民家。1856年建築。202-206 Clarendon Street こちらはイオニア式とドーリア式の柱を持つ、

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 1977年、クラレンドンテラスは、解体が計画されたが、一般市民が猛反対した。ナショナルトラストは、州政府から金利無しの資金の貸付を受け、建物を購入し、保存した。1980年、ナショナルトラストは、改修費用をねん出するため、建物をロバートメンジーズ財団(Sir Robert Menzies Foundation )に45年間、貸し出す契約を結んだ。3つの建物は、内部を解体され再建築されている。

ビクトリア・ハウス Victoria House
建築:1914年
建築用途/現在の用途:アパート
建築期:エドワーディアン
建築様式:ネオ・ゴシック

 Walking Melbourne

 カフェ テラスオンクラレンドン
 Terrace on Clarendon
 222 Clarendon Street East Melbourne
 Cafe, Italian

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 メンジーズ財団



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