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イーストメルボルントップ

Commonwealth Offices 2 Treasury Place

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2014年1月8日(水)
財務省2番地ビル
State Government Offices
2 Treasury Place
イーストメルボルン
East Melbourne
メルボルン Melbourne
この場所の地図 Google Map

財務省ビル群の中で、2番目に古いのがこの財務省2番地ビルである。旧財務省ビルのすぐ裏手にあり、観光客の目は旧財務省ビルに向けられるので、ほとんど目立たないが重要性では引けを取らない。
撮影データ Canon EOS 5D シャッター速度優先優先AE 評価測光 絞り 11.0 1/125秒 ISO感度100 露出補正 -1 太陽光 JPG レンズ EF 70-200mm f/2.8L /USM 撮影:板屋雅博 撮影2011年1月29日 


  州政府役所財務省2番地ビル
Government Offices
住所:2 Treasury Place
建築年:1874年
建築時期:ビクトリアン
建築様式:ルネッサンス・リバイバル
Edwardian Baroque
建築家: Michael Egan
建築時用途:事務所(連邦政府役所)
現在の用途:事務所(州政府役所)
階数:4階建て

Walking Melbourne


 スプリング通り側の旧財務省ビル(オールドトレジャリービル)は、1958年に起工して1862年に完成している。財務省2番地ビルは、1859年に礎石が置かれて建設が始まっている。当時のメルボルンはゴールドラッシュのお陰で世界最大の金持ち都市となっていた。旧財務省ビルの規模では拡大するメルボルンの財務省の職務を遂行することが出来ないために、直ぐに実務用のビルとして建築が計画された。ただ当時の政府の事情により直ぐに建築が始まらなかった。1873年に建築コンペが行われ、当時、メルボルンの著名な建築家であったマイケル・ミーガンが一等に入選した。ミーガンは、1846年にアイルランド、ダブリンで生まれ、両親と共に移民し、メルボルンで教育を受けている。

Open House


 当初のミーガンのこの政府建築物のデザインは、平坦で特徴がないと批判が出た。メルボルンの創立時に相応しい力強く豪華な建築を望んだ。ミーガンは設計をやり直し、特に外観を大幅に変更した。外観の飾り模様を追加し、各フロアの中間にある化粧用の円柱を付け加えた。トップページにある正面玄関中央部のドーリア式ポーチに紋章(コートオブアームズ (Coat of Arms)やエレガントな鋳物飾りなども各所にを付け加えた。


 財務省2番地ビルは、数多くのビクトリア州政府の各省庁の本部が入居し、中央省庁の母体となった。1877年に完成し、まず財務大臣と秘書室や財務省中央部門が入居した。オープン後、新財務省本部は、財務省2番地ビル( 2 Treasury Place)として知られるようになった。また政府事務所群(Government Offices)、また公共事務所(Public Offices)などとも呼ばれた。
1912年からは、Treasury Place4番地にある連邦政府事務所(Commonwealth Offices)と区別するために州政府事務所(State Offices)と呼ばれるようになった。1877年にレストラン、厨房、食器洗い場が、4階に設置され、職員に食事を提供するようになった。大臣たちは2階に職務室を置いた。また公共土木局は、東棟の1階に置かれた。入り口ホールから広大な階段部分を通り不動産裁判所への通路が1階にあった。オークリーとパークス(Oakley and Parks)のデザインにより建物の改装が1933に実施され、東棟と西棟の間に4階部分が設置された。中央の階段が撤廃されエレベーターが設置された。

  左の写真は、建設当時のメルボルンの事情を物語っている。当時は、建物の周辺やメルボルン市内の道路はまだ舗装がされていなかった。従って少し雨が降るとかなりの泥沼の状態となった。建物に通勤してくる役人たちのブーツはかなり泥で汚れた。そのため、各建物の入り口には泥をこそぎ落とす金具が設置されてあった。ブーツの泥落としである。洒落たデザインだが、このような設備を設置が、当時の様子を物語っていて興味深い。

イーストメルボルン

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